ミカを〆るからみかじめ料

私は在パリの「世界統治者」尾崎氏に言った。「神はコウキではなくコジキである。神はミカであり、ミカを〆るからみかじめ料である」。オリジナルのクルクルパー約聖書冒頭の『ソーセージ』だ。

朝の5時半から配達に出掛けるが、雨に降られる。そんなことは気にせずマルタ・アルゲリッチギドン・クレーメル/ミッシャ・マイスキーの演奏を聴く。ドミトリ・ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲第2番ホ短調。ペーター・チャイコフスキーピアノ三重奏曲 イ短調《ある偉大な芸術家の想い出のために》。ペーター・キーゼヴェッター『タンゴ・パセティック』。次いで、ナタリー・シュトゥッツマンのコントラルト、カトリーヌ・コラールのピアノ伴奏でシューマンの歌曲集「女の愛と生涯」。ある画家の歌の本より「6つの詩」。「詩人の恋」。

さて、私は多少作業でもするときは労働者の立場に立ち、他方なにか買うときには消費者の立場を確保する。岩波の『思想』でも読むときには(読まないが)「統治者の立場と被統治者の立場を都合良く使い分ける欺瞞には加担しないぞ?」と呟き、『重力』などを読むときには(そんなゴミクズを買うことはないが)「消費者の傲慢を許さない」と嘯く。安冨歩の有名な東大話法がどうのなどを繙くとーーそういうものは嫌いなので読むことはないがーー「ニッポンの立場主義エリートは許し難いな? ポルポトの手口を見習うべきだ」と歌う。バデュウによるプラトン『国家』の「民主主義的人間」の戯画化には「そうそう、そのとォーり!」と調子を合わせる。

ーーそういう私は、しばしば誤解されて最初からありもしない「友達」をなくすが、アイロニーシニシズム、嘘などとは程遠いし、冗談を口にすることもない真面目な人間である。そういえば、「いのち」がどうのなどと笑止千万な小沢派カルトの政権奪取の野望は完全に頓挫した模様だが、そのこと自体は当然であり誠に喜ばしいが、なにか誤解、勘違いしている連中がいるが、「人を呪わば穴二つ」という諺を知らないのだろうか。小沢派をやっつけようと、またはそれとは違うが先程の都知事選のように「元首相連合」(何だそりゃ)をやっつけようと、左派左翼が勝利することなんかあり得ないのだ。そのことさえも承知していない教条主義者の群れには辟易した。

「そらまめオンリー」という逆ピュタゴラス主義的な意見が過激思想やアイロニーなどであるはずがない。私は恐怖新聞ではなく、読むと笑い転げて寿命が百日ずつ伸びていく喜び組日報というものを配っている。