同じ世代を生きて

今日はライヴもないのでのんびりポスティングに行って今しがた帰ってきたが、都知事選について再考していた。

人々は既に終わって結果も出たことなど話題にしたくないのかもしれない。それにどっちに転んでもどうせ負け戦だったさという気持ちも舛添支持者以外にはあるだろう。

なるほどそれはそうだが、私が個人的に遺憾だったのは、その状況は以後今日まで続いているようにも思うが、ロハス v.s. 反貧困という、私に言わせれば偽の対立が作られてしまったことである。確かに宇都宮健児氏は宇都宮健児氏で脱原発政策も持っていた。細川護煕氏のほうはーー氏の「脱成長」路線の現実がどうかは多大な疑問も残していたとはいえ、喧伝されていたように貧乏人や労働者の切り捨てを企図していたとも思えない。

ーーだから当人たちというよりも、両者の熱狂的な支持者たちの問題でもあるのだが、あたかも細川さんの脱原発一点突破戦略/脱成長路線、そのエコロジスト的なヴィジョンがただ単なる「金持ちの道楽」としてのロハスだということにされてしまった。私自身は「脱成長」の内実には不明な点もあると感じつつ、果たしてそういうことだったのかは疑問でしたが。

これはもう済んだ話だし、今更どうこうできることではありません。ただ、今朝方の瀬戸内寂聴さんと不破哲三さん御夫妻の会談の記事ーーそういえば文学がお好きなのか、不破さんはかつて水上勉との対談本も出しておられたのだった(『同じ世代を生きてーー水上勉不破哲三往復書簡』新日本出版社)。私は水上勉にこの不毛な対立を考える鍵があるのではないかと思った。

それは水上勉良寛についての見方の変遷である。良寛というのは元祖というか、元祖というほどでもありませんが、江戸のエコロジストのような人でもある。事実辻信一さんのようなエコロジストや、『清貧の思想』の中野孝次さんなどは良寛が大好きだ。

そこで水上勉なのだが、彼は子供の頃寺にやられて、そこで大変な苦労をした。それが彼のベースになっているが、そうすると彼は当初良寛に極めて批判的であった。若い頃に良寛を描いた小説ではということですが。

大体そもそも仏僧などというものは社会にあって労働や生産に自ら従事していない。いわば生産階級の剰余をいただいて生活している人々である。それならば武士たちもそうだが、彼らの権力や生活の基盤はその軍事力、暴力にあった。僧侶たちにはそれもない。人々の信仰、志によって生きているのである。

水上勉による良寛への批判はそのことだけでもない。彼自身の子供の頃体験した寺での厳しい生活からすれば、良寛自身や良寛を讃美する人々の言葉やありようが余りにも浮世離れして甘いものでしかなかったということだ。良寛の有名な逸話ーー幼子たちと一緒に道端で鞠をついて遊ぶ、唄を歌うなどの元祖スローのような生き方が若き日の水上にはいい気なものに見えたのである。

なるほどそれはそれでよく分かる気もするが、しかし彼は後年もう一つ良寛についての小説を書いている。そこでは良寛についての見方はそこまで厳しいものではなくなった模様である。

ーーそういうことは我々の現在に別に何も示唆しない。だがしかし、互いに罵声を浴びせる前に、もうちょっと待ってみようという気持ちにならないのだろうか。そうして、細川さん個人がどうかはともかく、原発がもし事故を起こしたら多大な被害がというのは、別に金持ちとか中流以上の安楽な暮らしをしている人々だけの杞憂や幻想ではない。そこにはリアルな問題・リスク、そうして責任があったし、今もあるのである。私はそう思うが、だがしかし、「金持ちの道楽としてのエコロハス」と見られてしまった時点で、政治的には敗北だったのかもしれない。