千年の京から「憲法九条」

鎌ケ谷市立図書館に行ってきました。時間の自由の利く自由業・自営業だといっても、あれこれ雑事やバイト・副業に追われて期限内に返しに行けなかったりとか。まあ仕方がないですが、今日は次の5冊を借りてきた。

瀬戸内寂聴鶴見俊輔『千年の京から「憲法九条」 私たちの生きてきた時代』(かもがわ出版)。津田大介『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)。福島みずほ『政治をあきらめない 話せば元気がわいてくる 福島みずほ対談集』(明石書店)。西田亮介『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)『ネット選挙解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)。

これで5冊ですね。瀬戸内寂聴については、今朝だか昨日だかの『赤旗』で彼女が日本共産党本部を訪れて不破哲三さん御夫妻と歓談したという記事が掲載されていたので気になりました。私は『赤旗』を購読していませんので、Facebookやネットで読んだわけです。

周知のように瀬戸内寂聴さんは先の都知事選では細川護煕さんを応援しました。共産党も含めた左派が推す宇都宮健児さんではなかったわけです。選挙期間中もそれ以後も、そのことを巡ってかなりの不協和音が聞こえてきました。瀬戸内寂聴さんの訪問と『赤旗』へのそれの掲載はそういうことについてもうそろそろというサインでもあったはずです。

勿論そのことはあからさまに話題にされていないし、多くの人々にわだかまりが残っているのも致し方がないことで、例えばブロガー「世に倦む日日」などは選挙後もかなりの陰謀説的思い込みも含まれるのではないかと思われる共産党批判を展開し、他方、宇都宮先生を支持した人々の間にも老害ブンカジンはけしからん、引っ込んでろという罵声が見られる。なるほど双方に言い分はあるとしても、もう選挙結果は出てしまったわけで、これ以上いがみ合っても致し方がないのだというところではないでしょうか。

鶴見俊輔瀬戸内寂聴さんの対談が三島由紀夫の想い出から始まるのは興味深い。鶴見さんの三島『喜びの琴』の擁護ーー文学と政治はとりあえず別のものだからというのはなるほどその通りでしょう。自決直前、晩年の三島と東大全共闘の対話ーーこれは私は未読ですが、全共闘の側の言葉が流行りの言葉でしかなかったのに対し、三島のそれが重く沈んだ言葉、誠実な言葉だったと鶴見さんは言います。それもなるほどそうだろうと思いますが、何といっても三島は文学者だったのですから。

そういうことで、その三島と全共闘の対話は未読なのでこれ以上言っても仕方ないのですが、瀬戸内さんたちのその対談も含めて現在におけるそれを考えてみました。かつての三島たちもきっとそうだったのではないかと思いますが、客観的な事実の認定という次元では鶴見さんと瀬戸内さんの対話には違うのではないかというところがかなりあります。気になったところを二箇所だけ挙げてみますと、まず、少年犯罪がこれほど増えて治安が悪化したのは最近だというのは俗耳に入り易い謬見です。凶悪犯罪の発生率や発生件数は貧困の度合いと有意にリンクしており、それが最もひどかったのは1950年代の半ばであるというのは広く知られた事実です。

もう一つ。アメリカは民主主義からファシズムになったというのも、これまた極端な見方ですが、かつてのブッシュ・ジュニアの単独行動主義や先制攻撃、愛国者法などがそう見えたというだけです。例えば堤未果その他がどういうとしても、現在のオバマ民主党アメリカをファシズム国家とか独裁などと言えるでしょうか。

今気付いたのは大きくいえばこの二つですが、探していけばまだあると思います。ですが、ここで申し上げたかったのは、作家なり文学者などの発言の誠実というのは、そういう事実認定の是非ではないのではないか。少なくともそれ「だけ」ではないのではないか、ということでした。