雨の日和見下駄その2

メール便配達から帰ったが雨が再び降り始めて濡れてしまった。別に自分は濡れても構わないが郵便物が濡れて苦情が来るのではないかと心配だが、しかし昨日も今日も雨だというわけで困った。いつまでも待っているわけにもいかないし。そうして帰宅してColeman Hawkins / Roy Eldridge Quintet "Complete Live at the Bayou Club 1959"を聴いているが、『日和見下駄』ではなく本家本元の永井荷風の『日和下駄』に共感する。

仏蘭西の小説を読むと零落れた貴族の家に生れたものが、僅少の遺産に自分の身だけはどうやらこうやら日常の衣食には事欠かぬ代り、浮世の楽しみを余所に人交もできず、一生涯を果敢なく淋しく無為無能に送るさまを描いたものが沢山ある。こういう人たちは何か世間に名をなすような専門の研究をして見たいにもそれだけの資力がなし職業を求めて働きたいにも働く口がない。せん方なく素人画をかいたり釣をしたり墓地を歩いたりしてなりたけ金のいらないようなその日の送方を考えている。私の境遇はそれとは全く違う。しかしその行為とその感慨とはやや同じであろう。日本にほんの現在は文化の爛熟してしまった西洋大陸の社会とはちがって資本の有無にかかわらず自分さえやる気になれば為すべき事業は沢山ある。男女烏合の徒とを集めて芝居をしてさえもし芸術のためというような名前を付けさえすればそれ相応に看客が来る。田舎の中学生の虚栄心を誘出して投書を募れば文学雑誌の経営もまた容易である。慈善と教育との美名の下に弱い家業の芸人をおどしつけて安く出演させ、切符の押売りで興行をすれば濡手で粟の大儲けも出来る。富豪の人身攻撃から段々に強面の名前を売り出し懐中の暖くなった汐時を見計って妙に紳士らしく上品に構えれば、やがて国会議員にもなれる世の中。現在の日本ほど為すべき事の多くしてしかも容易な国は恐らくあるまい。しかしそういう風な世渡りを潔しとしないものは宜しく自ら譲って退くより外はない。市中の電車に乗って行先を急ごうというには乗換場を過ぎる度ごとに見得も体裁もかまわず人を突き退け我武者羅に飛乗る蛮勇がなくてはならぬ。自らその蛮勇なしと省みたならば徒らに空いた電車を待つよりも、泥亀の歩み遅々たれども、自動車の通らない横町あるいは市区改正の破壊を免れた旧道をてくてくと歩くにくはない。市中の道を行くには必ずしも市設の電車に乗らねばならぬと極ったものではない。いささかの遅延を忍べばまだまだ悠々として濶歩すべき道はいくらもある。それと同じように現代の生活は亜米利加風ふうの努力主義を以てせざれば食えないと極ったものでもない。髯を生し洋服を着てコケを脅そうという田舎紳士風の野心さえ起さなければ、よしや身に一銭の蓄なく、友人と称する共謀者、先輩もしくは親分と称する阿諛の目的物なぞ一切皆無たりとも、なお優游自適の生活を営む方法は尠くはあるまい。同じ露店の大道商人となるとも自分は髭を生し洋服を着て演舌口調に医学の説明でいかさまの薬を売ろうよりむしろ黙して裏町の縁日にボッタラ焼をやくか粉細工でもこねるであろう。苦学生に扮装したこの頃の行商人が横風に靴音高くがらりと人の家の格子戸を明け田舎訛りの高声に奥様はおいでかなぞと、ややともすれば強請がましい凄味な態度を示すに引き比べて昔ながらの脚半草鞋に菅笠をかぶり孫太郎虫や水蝋の虫箱根山椒の魚、または越中富山の千金丹と呼ぶ声。秋の夕や冬の朝なぞこの声を聞けば何とも知れず悲しく淋しい気がするではないか。》

自転車で二和の街を走りながら考えたが、この年齢になってやりたいことも特に書きたいことも全く何もない。小説として書きたいストーリーも論文や評論として書いてみたいテーマもない。何がどうなるこうなるということも全くなく、野心もやる気も勿論能力もなく、財産もなく、英語に「自分の爪先を眺めて暮らす」という成句があったと思うがそういう感じでただぼんやりとだらだら毎日を過ごしていくのであろう。そう考えて少々憂鬱になった。