断章亭日乗

今日一日を振り返ってみると、午前中にてらおストアで買い物。午後にメール便配達。帰宅したらお客様。それからポスティングに行って今帰ってきたわけだが、二和東6丁目39番地付近を歩いていたとき、ふと、若い男の怒声が聞こえてきた。「俺は世界一の嫌われ者やと分かったんだから……」。ぎょっとしてそれ以上何かあれば通り掛かりの者ですと声を掛けようと思ったが、それ以上何も聞こえてはこなかった。演劇か悪ふざけだろうかとも思ったが、そういうことであったのかどうかは分からない。

メール便でも地域をずっとほぼ毎日歩いて(正確には自転車)音楽教室やら塾やら何やらを目にすると、おや、商売敵だなとか、うまくやってるんだろうかと気にしたりもする。まあ店とか教室といってもどこも恐らく大変なである。勿論うちも大変だが、そういうことでは読解塾の先生が困窮しているという話は気の毒だと思ったし身につまされた。人間どういうことが躓きとか没落のきっかけになるか分からないものなのである。

ということなのだが、先日Facebookでこういう御意見を見掛けて罵倒したらブロックされてしまった。《エイズの性交渉汚染を「無かったこと」に偽装、隠蔽すれば、悪意のHIVキャリアたちは健康を願う大多数の未感染国民に性交渉で感染させるようになり、「汚染被害はさらに拡大し(以下略)》……。

なかなかにものすごい意見だが、こういう人々が昨今の反被曝とか、「真実」に目醒めちゃったり、または秘密保護法反対運動に混じってるのである。それも相当な数。「右でも左でもない」。そうだね。アサッテだな。イカレてるというかどうかしているというか。僕はそういうことをそのまま率直に申し上げるものだから喧嘩が絶えなくてさ。

ということなんだけれども、今ここで申し上げたいのは、今度本を探してきてもうちょっと正確に引用しようかとも思うけれど、そういう人の見方というか、ほとんど偏執狂だと思うが、そういうものは昔から現在も想像力、ファンタジー、都市伝説じみた噂話には根強くあるということだ。まず挙げたいのは草間彌生の結構昔の、20年くらい前の小説『ニューヨーク物語』。ということは時期的にみてエイズ禍初期に相当するでしょう。

そこにはこういう場面がある。HIVに感染した男が将来を悲観し絶望して、一人でも道連れにしてやろうと、広場の真ん中の杭に少年を手錠と鎖で監禁し、自分が感染者であることを告げたうえでレイプする。少年は死の恐怖にやめてくれと懇願するが、男はやめない。通行人や警察が集まってくるが、男は刃物や銃器で武装しているので近付くこともできない。

これは大昔の小説ですが、そういう不安や恐怖が根深いのは、もともと2ちゃんねる由来だと思うが今ではTwitterとかでもしばしば目にするポジ種とかポジ付けという表現に窺えるでしょう。ポジ種とはHIV感染者のこと。ポジ付けとは感染者が故意に性行為で他人に伝染す行為。そういう恐怖のイメージだが、簡単に一言コメントしておけば、仮に悪い人はいないというような性善説に立たないとしても、そういうことをするヤツがもしいれば傷害か殺人未遂に相当する犯罪なので通報したほうがいい。いるかいないか分からないんだったら、余り適当な噂は流布しないほうがよろしい。

そうして正確な統計的数値は公的機関のウェブサイトでも覗いてほしいが、僕が知る限りのエイズの現状はこうである。エイズの感染者は増加傾向にある。それは異性愛であれ同性愛であれ性的接触だが、理由は二つである。根本的な完治でなくてもとりあえず死なない対症療法の薬が開発されて警戒が緩んだこと。もう一つは単なる風化である。それはそうなのだが、それは政府の陰謀などではないのですよ。悪意ある犯罪者とか怪物でも多分ない。そういうふうに歪曲して見るのはやめてもらいたいものです。終わり。