雑感

Sonny Rollins "Falling in love with jazz", "The solo album", Michel Camilo "mano a mano",Hampton Hawes "Four!", "Bird Song", Thelonious Monk Trio & Quartet "Unissued live at Newport 1958-59"。少々ピアノを弾き、讀書。今日は暇で平穏だ。二和向台の朝は明るい。気温も丁度良い。風が極めて心地良く、そこに人生の幸福を感じずにはいられない。図書館から借りてきた本をつらつら眺める。だが本当には文芸書が讀みたいのだ。……今日は図書館は開いてゐるな、とちよっと思った。行くかもしれないし、行かないかもしれない。とりあえずもう一枚くらい聴いたら、ウエルシア薬局、ヨークマートに向けて買い物に出発だ。今日は水曜日だとすると、今週一杯レッスンもなく、次の仕事は一週間くらい後か。そのくらい暇である。……無為に過ごしている。労働も生産も制作もせず。全く何も生み出さず、他人のために指一本動かさない。高等遊民というか……。遊民であることは確かだとしても、高等とはいえないな。……昔は惰民と言ったものだが、その些か暗いイメージを改めて遊民と言うべきなのかもしれない。だがしかしそういう言葉や表現なんかは全くどうでもいいことだ。大事なのは労働者ではないということ。それだけである。……僕はたゞひたすらに讀書だけをして暮らしてゐる。……誰にも会わず、何処にも出掛けて行かず、たゞ独りで。……いや家族が、両親がゐるが。だがそれだけだ。他には誰もゐない。誰とも会わない。自分から出掛けて行くことも、誰かが訪ねて來ることもない。……獨學者……サルトルの『嘔吐』のロカンタンのやうな。……それは全くどうでもいいのだが。……何も為ることなく。目的も希望もなく。また絶望も。……たゞひたすらに静かに暮らしてゐる……この静謐と安定を脅かす何ものもなく……さういふものは視界には何一つ現れては來ないのだ。……インターネットも……さういふものはただ単なる幻だ。現實に存在はしてゐない。……僕はそれをたまに少々眺める。さうしてすぐに厭になる。だから眼を背けてしまう。それで終りである。それ以上には、又それ以外には何もありはしない。……僕の今の安逸な生活を脅かすものは何もない。……又誰もゐない。……たゞ自分獨りがゐるといふだけである。……誰もゐない。……現れて來ない……現實にも、またネットにおいてもさうだ……誰もゐない……誰もゐない……何と素晴らしい静謐であり空虚だらうか。誰もゐないし現れて來ないといふことは。誰の声も聞こへない。誰の影も。視界に這入つては來ない。……此処に、この世界に人間といふものは存在してゐない。……その清潔と安心……安堵……人間がゐないといふことの。人間の影が射して來ず、そのこへがきこへないといふことの。……何といふ単純極まりない喜び……これ以上のものがあるだらうか……いや、決してありはしない。……人間がゐない世界……少なくとも他人、他者はゐない世界……世界や社会から完全に切り離され、孤立して絶縁した世界……其処において百パーセント完全に自足してゐる。欠けたものは何一つない。僕は満足してゐる。心から満足してゐるのであつて、足りないものや欠けたものは全くないのだ。……充實。確かに充實してゐる。余暇はふんだんにある。……毎日が日曜日であり、毎日が夏休みである。……人生の日曜日……月月火水木金金ではなく、日日日日日日日……日曜日しか存在してゐないカレンダー……日付は全て赤字で書かれてゐる……日曜日しかない……それ以外には何もない……仕事は入つてゐない……僕は暇である、余暇、自由時間しかない……労働に従事する必要は全くない……何も生産してゐない……他人に尽くしてもいないし、これから尽くすつもりも一切ない……船橋の外れで……船橋市鎌ヶ谷市の境くらいの位置だ……この二和向台といふのは。そこにたゞひたすらぢつとしてゐて、さうしてそれだけである。……誰とも会わない……会いに行かないし、面会を拒否してゐるし、誰も訪ねては來ない……たゞ獨りで……自足……自足といふか満足……私は満足した豚であるよりは不満足なソクラテスであることを選ぶといふミルの箴言警句は不十分である。なぜならば、どうして満足したソクラテスであることを選ばないのであらうか? ト、此処でCDが終つたから、次に聴くものを選ぼうと思ふが、だがしかし後10分で出發せねばならぬ。