雑感

日曜日は仕事なのだといつも繰り返している私だが、しかし昨日は勝手に休みにして家を空け、新京成線で北習志野まで出掛けて友達と会ってきた。ジョナサンだったかで食事したが、私はといえば、150円の田舎風ミネストローネ一杯で3時間も粘るというあたかも大学生か何かのような振る舞い。いやはや。38歳。そういうことはともかく、行き帰りは1959年に録音された"Coleman Hawkins with the Red Garland trio"を聴いていた。夕方帰宅してからずっとNHK FMで東京ジャズの中継を聴いていた。そうしてそのまま眠り込み。数度目が醒めたがまたしても眠り込み。夜11時過ぎにはポップスだかポピュラーに変わり、井上陽水の「傘がない」のライヴ音源が流れたと思うが、気付けば音楽は止んで誰か女性のパーソナリティートークが延々と続いていたからラジオを止め、CDに切り替えた。だがCDは1万枚もあっても、さて、どれを聴こうかといつも迷って、そのうちに憂鬱の森にさ迷い込んでしまう。暫く考えた挙句、"Monk Alone: The Complete Solo Studio Recordings: 1962-1968"という2枚組にした。まあ早くに就寝したとはいえ、夜11時過ぎに目が醒めてしまって、これから朝までは6時間くらいもあるわけだが、次から次に聴くべきものをセレクトしてはいるものの、時間を潰すのが退屈である。読書も何を読もうかと思案しているが、そういえば、船橋市北図書館(二和向台駅の向かい)は今週は金曜日まで休館なので、とりあえず自宅にあるものから読まなければならない。そうして今日、月曜日は私は、午前11時に津田沼に出掛ける用事がある。雑用だが、それを済ませて帰ると後は暇である。今週はもし行くとすれば、新京成線八柱駅松戸市かな。そこにある千葉県立西部図書館である。県立から借りてきているあれこれは社会主義計算論争に関するものが多く、昨日船橋市図書館で相互貸借で借りたトロツキーの『社会主義と市場』も、村岡到の『社会主義計算論争』が挙げていた参考文献である。そうはいっても、私はこのテーマに詳しくなく、また予備知識も十分ではないので、あれこれ読んでいても中々具体的にイメージを結ばないが。そういう意味で西部忠氏の『市場像の系譜学』も再読しているが、勿論氏は地域通貨論で有名だが、私としてはこの原点に興味があるし、そうすると、ハイエクなども食わず嫌いせずに読まなければなどとも思うのである。ということでは昔あかねで中西Bという人と少し話したことを想い出すが、彼は『クアトロガトス』という演劇とか思想の雑誌を森下貴史君と作っていたが、その中Bが「20世紀の最大の悪はハイエクだと思うんです」と語っていた。私は当時も今も意味が分からないのだが、観念的に、また理念的に……そういうアレで考えるとそうなるのだろうか。私には20世紀の巨悪といえば、とりあえずはヒトラースターリン、それに限らずポルポトが思い付くし、経済学を含めて思想とか理論というものが20世紀最大最高(最低? 最悪?)の悪だというのはどうも腑に落ちないのである。私は中西Bという人には好感を持っていない。どう申し上げればいいのか、話をしても文章を読んでも、何がおっしゃりたいのか意味不明なのである。よく記憶しているのは、彼がtoppie!と議論・論争していたというよりも一方的にやり込められていたのを目撃したということで、そのテーマは何だったか忘れたが、ジェンダーセクシュアリティか何かだったかな? 私は今となっては、へたれインテリ(?)の不決断や優柔不断を一刀両断に責めるtoppie!にも不愉快なのだが(というのは、最近はよくTwitterなどを読むからで、そこで例えば東浩紀相対主義懐疑論を糾弾する人々の群れと重なって見えるからだが)、それはともかく、何となくそういう風土そのものが厭になっているし、リアルでもネットでもそういうものと再会したくはなく、私自身は船橋の自宅で一人のんびりと暮らし、そうして図書館に通ってあれこれ資料を読みながら沈思黙考したいのであって、ろくでもない性急な議論(それはまともな理性的検討などというものであるはずがない)などの時間と労力を費やしたくはないのである。

演劇グループ Cuatro Gatos http://cuatro-gatos.org/cg/top.html

批評誌クアトロガトス http://cuatro-gatos.org/cg/critique_news.html

Cuatro Gatos広報部はてな非公式出張所・『渋谷ハチ公前広場』(中西Bのブログ) http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/