雑感

マルエツ2階のダイソーに行つて不良品の電池を取り替へて來て、さうして今歸宅して再びルイ・アームストロングを聴いてゐるが、先程の激しい怒りが少しも醒めやらない。其れはさうだが、取り敢へずもう二十時(午後八時)近い時刻なのでシャッターを閉めて閉店作業をした。裏の鍵も掛けて了つた。さうすると、もう今晩は、後程氣が向いたら少しピアノを奏でるかも知れないが、何も為る必要も無くのんびりである。かう云ふ暮らしが實に素晴らしい物で有る事をあたしは何時も感じてゐるが、為る事も無く義務も當爲も無くだらだらと云ふ事程素晴らしい物は無い。人間にとつて無常の快樂であり幸福であると思へる。世の中と、社會と關わり合ひにならなくて済むと云ふ事は。人間にとつてこれ以上望ましい事は恐らく何も有るまい。さう確信する。序でながら、會社とも關わり合ひになつてゐないが。此れ又實に素晴らしいとしか云ひ様の無い事である。あたしはほんの少しパートタイマーをやつた事があるだけだが、會社と云ふ物には何時も不快感と苦痛しか感じた事が無かつた。端的に厭である。勿論世の中と云ふ物は、其れが厭だからと云つて簡單單純に拒否できるやるにはなつてゐない。其れはさうなのだが、取り敢へずあたしはあたしの幸福を喜ぶと云ふだけの事である。自立とか自律と云ふよりも隠居であり隠棲である。古代のエピクロスの警句、隠れて生きよと云ふ警句程正しい物は他に無いやうにあたしには思はれる。あたしはさう云ふ風にしか感じた事が此れ迄嘗て一度たりとも有りはしなかつた。世の中や世間や他人などと云ふ物は、何時でも常に厭わしい厄介な、さうして面倒臭い物であり、さうしてさうであるだけだつた。であるから、あたしは必要最低限を除いては其れらと交渉しやうとは為なかつた。實に妥当な選択だと思ふのである。人間にとつて重要なのは、あたしが思ふに恐らく此れだけである。隠れて生きよと云ふ事。世間との交渉を切断してなるべくなるだけ獨りで過ごすやうにと云ふ事。コミュニケーションを能ふ限り減らして零に近付ける可き事。 ありと凡ゆる意味で會話を減らす事。少なくする事。他人と話すのは時間の無駄である。他人を説得しやうと為るのは無益である。時に有害ですらある。他人の意見や信念、ひいては生き方などを變へる事は多くの場合出來ない。さう云ふ事を企てるのは時間の無駄、徒労である場合が非常に多い。であるから、さう云ふ事からは可能な限り撤退して、自分自身の内へと向かつて行く事だけが大事なのである。あたしはさう思ふ。