雑感

「正義はなされよ、たとえ世界は滅びるにしても(fiat iustitia, pereat mundus)」を調べるためにカント『永遠平和のために』(宇都宮芳明訳、岩波文庫)を読み返すが、付録1「永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について」の一部であり、邦訳では94ページである。宇都宮氏の訳注を参照すれば、ドイツ皇帝フェルディナント一世(Ferdinand I, 1503-1564)の言葉とされるということだが、フェルディナント一世がどういう人物で、どういう文脈や背景のもとに上記のラテン語の文句を口にしたのかは全く分からない。分からないが、付録2は「公法の先験的概念による政治と道徳の一致について」と題されているが、カントは本来、彼のいう「先験的」または超越論的な次元では政治/道徳、一般に現実と理念、当為、義務は一致「すべきである」、せねばならない、するはずだと考えていたということだが、それこそ現実の事態としては複雑なことがあるのは承知しなければならないので、これは『実践理性批判』の昔からの問題でありテーマである。つまり、当時の通俗哲学者(と今日一般に称せられている)ガロディ氏から、理論なり理念と現実の実践は一致しないという旨の批判や批評を受けてカントは小論文「理論と実践」(岩波文庫では『啓蒙とは何か』に所収)で応答、反論した。なるほどカントにとってはそれらは一致「しなければならない」。それは彼の論理から必然的に出て来る結論だが、だがしかし、果たして本当にそうなのでしょうか。

永遠平和のために (岩波文庫)

永遠平和のために (岩波文庫)