寡黙なセンチメンタリストは死ね

《饒舌なニヒリストは死ね》━━《饒舌なニヒリストは死なず。そして、消え去りもせず》。《寡黙なセンチメンタリストは死ね》

先程Herbie Hancock "My Point Of View"を聴いていた。その前はSonny Clark "Cool Struttin'"である。今、Ike Quebec "Blue & Sentimental"を聴いている。だから《寡黙なセンチメンタリストは死ね》というわけでもないのだが。いや、別にそれは関係ありません。

午後1時過ぎから今まで掛けて、二和向台の街を散歩した。まず千葉銀行二和向台支店であれこれローンその他の支払い。そして踏切のところのセブンイレブンソフトバンクアットローンの支払い。それを終えたら船橋三咲郵便局で県民共済の入金。それが終わったらマルエツを覗く。何もなかったのでウエルシア薬局へ。両親の焼酎(トップバリュー、25度)と自分のための「飲むヨーグルト」を購入。余りに暑くてまさに氏にそうなので、それを飲みながら帰る。自宅に帰り着いたら早速シャツとズボンを脱ぎ捨てる。冷房を19度とか18度、17度で入れようと思ったが、窓を全開にしていると案外、風が入ってくるからこれはこれでいいやと思う。そして、昔知り合いから無償でいただいたノートパソコンを立ち上げ、インターネットとワードパットを開いてこれを書いている。Ike Quebecは中々よろしい。それほどメジャーな人ではないと思うが。

FacebookでH口氏、彼の友達であるK田氏・S永氏と少々時代や時流、今ホットなテーマやトピックと全く無関係な話題について4時間くらい書き続けていた。吉本隆明についてだが、こういうことについては幾ら書いても語っても話題が尽きない。僕は本当に暇人なのだし、政治であるとか経済、社会、運動、その他には全く無関係であり、脱原発・反原発とも無関係であり、文化というよりも地域に生きている。千葉県━━船橋市━━二和向台という街に生活しており、そこを一歩も越えず、一歩も出ないし、また出る気もありはしない。移住を考えないのと同様、旅行の類いも一切しない。僕は基本的に船橋の街を出ないで暮らしている。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。無意味に無用にあちこち出て歩き廻るのは心底嫌いである。国内であろうと国外であろうと、そんなにあちこち出て行く必要はないではないか。僕はそう思うが。近所の徒歩10分の場所に図書館があるし、それだけで十分である。それも大学図書館とか国会図書館などでなくて構わない。市立図書館で十分である。それで用は足りる。

吉本について何を書いたのか忘れたが、要するに僕は彼は昭和の、戦後の日本の「文人」だと思うということであり、知の巨人とか、世界思想とか、新左翼全共闘)の教祖ということではないのではないかということだった。理論的におかしいとか、概念や用語がどうのなどとあれこれ云っても致し方がないのではないか。そういう限界ならみんな誰でもあるのだし、そうではなく、あらゆる場面や領域での条件や歴史性の具体的な探究と規定が必要であろう。そういうことについて纏まったレビューを書いてみる予定はないが、とりあえず僕は『悲劇の解読』という70年代の評論が一番好きである。僕にとっての吉本はほとんどその一冊に尽きる。50年代の政治も、60年代の意味不明な「理論」も、80年代のポストモダンも「何だかなあ」という感じでしかないのである。

ということに20年以上の歳月を経ていまだにこだわっているとは自分でもなかなかに驚きなのだが。だが、どうでもよろしいことである。体調の悪さ……。全身的な不調。1年以上続く腰の痛み。頭痛。眼の痛み。動悸。息切れ。右肩の激痛。などがあるが、まあ涼しい顔をして優雅に。「飲むヨーグルト」も飲み飽きたから日本茶でも飲もうかと。そうしてそれが終わったら、またしても冷水シャワーでも浴びて(本日3回目)、冷房をガンガンに入れるかなと。CDを数枚聴いて、日が暮れたら、そうしたらポスティングかなと。大体そういう感じで今後の予定を考えております。では、またね。

COOL STRUTTIN' '99

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BLUE & SENTIMENTAL-RVG SE

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