与世山澄子/ウィズ・マル

今日は7月1日なので、御滝不動尊にお参りに行く。帰宅して大久保園で御茶を購入。ウエルシア薬局でちょっと買い物。そして今帰ってきた。与世山澄子『ウィズ・マル』をCDウォークマンで聴く。読書は、カール・R・ポパー/フランツ・クロイツァー『開かれた社会──開かれた宇宙 哲学者のライフワークについての対話』(小河原誠訳、未来社)を少し読み返す。

僕は保守的な傾向を強めているが、そこでまたしても外山恒一やその支持者連中のようなタイプの「革命家」を世の中から一掃すべき必要性を熟考した。下らない情熱や理想を、合理的な検証や検討もなしに信じ込み、そのために他人にどのくらい迷惑を掛けても構わないという連中は全員始末する必要がある。

さて、ポパーには科学哲学という次元と、マルクス主義論駁の反共・保守的な意見だという次元がある。そのいずれも今なお重要だろうと思う。今はマルクス主義者は余りいないわけだが。いるのだとしても、目立った影響力はないが。それよりもむしろ、スピリチュアリズムエコロジーの一部のカルトが問題である。環境問題であれ、脱原発などであれ、とんでもない愚か者や狂人どもを「切り離し」、徹底的に攻め滅ぼし、一人残らず殲滅する必要がある。というのは別に冗談でも何でもない。そういう連中は、自らの生命によって、己れの愚劣を償う(購う)べきなのだ。「いのち」が大事などと甘いことを抜かしてるんじゃないよ。お前は今すぐ直ちに死ぬのだ。それだけだ。

というところでFacebookに先程書いたことをもう一度整理すると、そもそも経済成長そのものに懐疑的な一群の人々がいる。エコロジストがそうだし、彼等だけではなく民主党やそのブレーン、小野善康教授(「成熟社会」論)、左翼・社会主義者マルクス主義者)・アナーキストの一部がそうである。ところが、それに対立する人々もいる。石原慎太郎与謝野馨、旧・たちあがれ日本や旧・国民新党を除けば、リフレ派やアベノミクスの旗振り役である。後者には極右から左派までがいる。そうすると、我々は経済成長不要論・低成長論・脱経済成長論に復讐(報復)されているのである。というのは、それは明白な誤りではないかもしれないが、それでは都合が悪い人々もいまだいるからだ。

そして補足しなければならないというのは、リフレ派やアベノミクス信奉者は全員与謝野を敵視し、死神とか貧乏神と罵倒しているということであり、経済成長肯定論だからみんな同じだと一括りにはできないのである。

開かれた宇宙―非決定論の擁護

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