暗い日曜日

爽やかな日曜日の朝だが、僕は午前3時からずっと起きている。今日は船橋市長選挙、そして自宅=店舗ではライヴである。また、ポスティングにも行ってくる。そういうわけで、少々(1時間弱)ピアノを弾いてから少しゆっくりシャワーを浴びた。というのも、昨晩は疲労(とりわけ眼精疲労)のため早く床に就いたからで、シャワーを浴びよう浴びようと思いつつ、つい余計な関係ない政治の話、床屋政談に終始してしまって、浴び損ねたからである。ま、僕は今日"Differencia"の後藤学などと違って床屋ではないわけだが。後藤は「床屋はすべからく馬鹿である」という無惨な教訓を我々に残したわけだが、生きる価値も資格も権利もありはしない彼もいまだに京都で生きているのだろうと思うと無性に腹が立つ。世の中には生きていてはいけない、それなのに生きている連中が余りにも多過ぎるのだ。そういう連中をどうすればいいだろうか? これ以上は皆さんの賢明な推測にお任せする。

風呂の水は溜めていないので冷水シャワーだが、まあ夏なのでそれでも構わない。ゆっくり丁寧に全身を洗う。そのためのスポンジやら何やらが3つくらいあるわけである。石鹸を使って丁寧に。直接見えないところも含めて髭も剃る。頭も洗って。そうすると、全身をよくよく洗ううちに、肥満した腹部の脂肪のつき方が気になった。怠惰怠慢で無為なブルジョア生活の産物である。この豚そのものの体型は。《満足した豚》とも云うべきこの脂肪は、誰か、また何かに似ている。安禄山とか、或いはヨーロッパの歴史の誰か。誰だったか思い出せないが、そんなことはまあいい。とにかく肥満した豚であるということだけが重要だ。労働も活動も運動もせず、満足して無為に……。芸術というほどの芸術でもないが、日々遊んで暮らしている。誰か他人のためには指一本動かさず。

そういうわけだから、TwitterのアイコンやFacebookプロフィール画像もさっさと変更するし、今日は14時から小林正弥氏の憲法と文明とか何とかいう集まりがあるそうで、どなたか匿名の方からメールをいただいたが、そういう誤解に基づくお誘いも迷惑である。僕は当然行かない。最初に申し上げたように基本的に日曜日は仕事なのだ。仕事がなくても参るつもりはない。こういう誤解があるから、だから画像を取り替えるのだ。さらに、毎週土曜日にJR新宿駅西口広場で取り組まれている大木晴子氏らのスタンディング行動にも二度と行くつもりはないが、その理由は、mkinpo氏など昔の知り合いの顔を絶対に見たくないということだ。

さて、ドン・バイアスバド・パウエル・トリオが共演した『キャノンボールに捧ぐ』を聴いているが、お気に入りは冒頭の「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」だが、バイアスやパウエルよりもキャノンボールのほうが後輩なのにどうして、彼に捧げているのだろうかとふと思う。夭折したキャノンボールは彼等よりも早く死んだから、だから捧げているのだろうか? とふと思ったが、面倒臭いから、ライナーノーツまで確認することはなかった。