そもそも存在していない「ラディカルな思想左翼」

Twitterでまたしても不愉快な御意見を読んだが、堀茂樹さんという方の御意見だ。堀さんによれば、1960年代以降、ラディカルな思想左翼が推し進めてきた脱構築が、今日の新自由主義的な惨状を齎したのだという。だがしかし、「ラディカルな思想左翼」など一体どこに存在しているのか。そして、堀さんのように考えるならば、我々は、伝統的な左翼思想、マルクス主義か、またはサルトル的なアンガージュマンに留まるべきだった、ということになりそうである。だがしかし、そういう結論は僕自身は決して容認し得ないところである。また、上述の見方は、「思想」などというものの影響力を過大に見積もり過ぎてはいないだろうか。ま、それはどちらでもいいが、いずれにせよ僕はポストモダンである。