感想

久しぶりに即興小説トレーニングで遊んでみる。といっても、特に小説らしいことは何も書かず、お題も無視する。今日は午前零時に眼が醒めて、ずっとYouTubeリヒテルを聴いている。昨晩はやはりYouTubeリヒテル、バッハ平均律クラヴィーア曲集全巻を聴いていた。それから、リヒテルのライヴ音源を幾つか。いまふたつめである。いずれも1時間超のもの。

私の日々はちょっとネットに書き、Ustream、それだけであり、それに満足している。社会との関わりはそれ以外には必要ではない。生徒はやってくるが、特に興味はない。私としても収入は必要だが、それはそれだけのことで、仕事に何も充実を求めていないのである。生徒個人にも興味はない。彼らには彼らなりの事情と生活がある。それだけである。

少し落ち着いた感じでものを書きたいが、中々そうできない。落ち着いて自分が本当にやりたいことに集中できない。というか、本当にやりたいことなど最初から何もない気がするが。小説を書く、━━だが、元々子供の頃考えていたのはSFであった。しかし、そういう物語への興味関心が20年来すっかり失せてしまった。構成や筋書き、また、描写、人物造型、会話などに興味がない。従って、延々と無限に続く独語、独白、モノローグであって、それ以外のものではない。私には一切の世の中は厭わしい。何も愛さず、全て厭わしい。不愉快である。というような偏屈。毎日激怒し続けているのである。

これまで絶交、絶縁した人々の意見を再び少し読んで、またしても激怒したが、彼らと手を切って全く正解だったとしか思わない。yukie、りょう、むちむちぽこにゃんなどの人々だが、彼らは一体何なのだろうか。もううんざりである。私は彼らのような自称・左派も保守・右派も好まない。何かこう、もっと別なものはないのだろうか。……ということで、記憶を遡り過去のことをあれこれ想い出してみるが、しかし、そこには一切何もない。全くの空無、空虚である。恐らく、彼らは(というのは、私が想い出そうとした人々は)、全員死んでしまったか、または、失踪し行方不明になってしまったか、または、最初から存在しなかったのだろう。誰もいない。no man's lank━━荒涼とした。無人の。一切の生命が死に絶えた廃墟と墓地。人々の死。━━観念━━想い出━━残骸━━ 《いなかった》人々のために。空想の、想像の、または妄想のイメージのために。━━誰もいない ━━死 ━━一切の生命と希望が死に絶えた廃墟 ━━歴史の終わり ━━もはや何もない ━━無 ━━無 ━━そして死 ━━誰もいない ━━人影のない、ただ主観的な幻影 ━━誰もいない ━━他者が死に絶えた場所 ━━もはや人間は存在していない ━━no man's land ━━人間がいない ━━人間がいない ━━無 ━━無 ━━無 想い出と独白 感想 論評 そこに人々はいない 生命はない 対話はない 無 無 無 ひたすら続く無人の 廃墟 荒涼とした 誰もいない 風が吹き抜ける 誰もいない場処 人々の死 空無 誰もいない 死 終わり 終了 誰もいない