骨の髄まで深く病んだ自然

それは(骨の髄まで深く病んだ自然)ということだが。

Twitterで昼間に、或る人が、彼はノンケ(=異性愛者)なのだが、カネのために男相手に体を売ろうかと書いていた人だったが、髭が伸びてきて、それを定期的に剃るのが大変だ、という意味のことをツイートしていた。そこでぼくはこうダイレクトメッセージを送ってみた。(金玉を抜いてしまうと、もう髭も生えてこないよ。)

さらに、こうも書き送ってみた。(男相手に体を売りたいと書いていたけれど、初めてのときってすごーく痛いのよ。我慢できる?)

彼から(我慢できない)と返信があると、(我慢できなくても大丈夫)と書き送る。

━━さて、いきなり軽くからかってみたわけだが、さして理由があったわけではない。彼はこう書いていた。(或る人が、苦労したことによって意地悪になるとすれば、その人本人のためにも周囲のためにも、そういう苦労などしないほうが良かった)。

なるほど、それはその通りだが、大事なことを一つ見落としている。それは、苦労するかしないか、ということは、個人の自由意志では選択できない、ということだ。

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以下は蛇足だが。

今申し上げたことを、反人間主義という必要は必ずしもなく、むしろ極めて人間的なのだ、といってもいいだろう。但しそれは、(人間は必ずしも善ばかりを意志するものではなく、悪をも意志し、実行することができるものである)という、カント的、というよりむしろ『人造人間キカイダー』(石ノ森章太郎━━意志ノ森と呼びたいが)的なテーゼによればそうだ、ということである。

(骨の髄まで病んだ自然本性 nature)。善ばかりでなく、むしろ悪を積極的に意志することができる自由な意志。倒錯 perversionの本質は、性的な指向 / 志向 / 嗜好が多数派と異なるというようなことによってではなく、根本から病んだ意志においてこそあるのであり、それはまさに(言葉の厳密な意味で)自由なる意志による選択の問題、決意の問題なのである。

川上すなおさん @v41f がリツイートしたすずきじゅんじさんのツイート

“@fkgw: 苦労をしたせいで性格がいやらしくねじ曲がっている人はたくさんいて、そんな人は苦労しないほうがずっとよかっただろうと思う 周囲の人間にとっても、本人にとっても”

“@v41f: 伸ばしたヒゲを剃ってきた。あかんあかんでー”

さて、ほんの少しの、あるかなきかの瑣末なことで、不意にいきなり悪意を向けられてしまうというのは、本当に恐ろしいことであろう。