フランソワのラヴェル
お題は「汚い愛人」だが、そう言われてもねえ。
とりあえず、今はサンソン・フランソワがソロイストのラヴェル『ピアノ協奏曲』を聴いているが、実に素晴らしい。ぼくの興味関心はこうした過去の若干のコンテンツにしかありはしない。
ラヴェルについては、ドビュッシーとの違いが問題になるが、ドビュッシーはフランス印象派、印象主義、Impressionismと言われるが、ラヴェルの音楽は粋で洒脱ではあっても、ドビュッシー的な美学とは何処か違っている。それが具体的にどこなのか、ということを楽理的に説明することはぼくにはできないが、聴いているだけでも多少は推察できる。
フランソワはショパン、ラヴェルの演奏に優れた名人だった。ベートーヴェンは不得手にしていた。彼にも三大ソナタの録音があるが、かなり弾きにくそうにしている。
戦前でいえば、アルフレッド・コルトーのような名ピアニストの系譜を継ぐ人だといっていいだろう。コルトーもまた、ベートーヴェンなどドイツ音楽は得意ではなかった。
コルトー、フランソワの全集を是非、聴いてみたいものである。と、いうふうに、趣味はどんどん古典回帰していく。(過去へ…… 過去へ帰ろう。)である。
昨日書いたように、ラヴェル弾きとしてはその後、マルタ・アルゲリッチ、イーヴォ・ポゴレリチなどが輩出している。彼らの『夜のガスパール』は絶品だ。
ラヴェルの音楽をどう特徴づければいいのか、という問題はあるが、素朴に楽しむだけでも、実に有意義である。
ぼくは藝術以外のものには一切意味も価値も見出すことができない。