権田原米三さんの御意見に賛成

私は以下の御意見に賛成である。ただ二つだけ留保すれば、「長い目で見れば」といってもやはり「紆余曲折」があるということ、及び、とんでもない排外主義を容認することはありえないが、それでも意見が違う人々との共闘も必要であるような気がするということである。ちなみに、権田原米三さんの御主張は、以下の首都圏青年ユニオン・河添誠さんの御意見を踏まえている。「排外主義的な主張すら排除しないことが一点共闘なのだという主張があるが、ばかげている。排外主義的な主張は、それ自体が排除の論理なのであって、排除の論理を排除することこそが一点共闘のキモだ。いかなる場でも排外主義的な主張は徹底して批判すべきだ。こういう時代だからこそ強調しておきたい。」

権田原米三 ‏@ShiraishiM1970

福島の事故があって、紆余曲折はあっても長い目で見ればどうせ原発は放棄するしかない。核燃サイクルは完成しないし、いずれ原子炉も核燃料も財産ではなくただのゴミになる。だからこそ、主義主張を棚上げした共闘なんか意味ない。

権田原米三 ‏@ShiraishiM1970

どのような社会を望むのかを考えずに、原発さえ存在しなければ良いという共闘に意味を感じない。

権田原米三 ‏@ShiraishiM1970

原発が存在しないことが(あるいは原発を無くしたという事実によって)実現する社会に可能性があることは否定はしません。