千坂恭二さんの「中国」

以下は大本薫さん(sunamajiri)がretweetしていた千坂恭二さん(Chisaka_Kyoji)の意見である。

「中国に被害者意識しか存在しないのは、中国には権力と経済しかなく、すべては勝ち負けか、損得で決定するしかないことにある。言い換えれば中国には権威がなく、権力と経済を規制する倫理がなく、伝統的な墨家的精神が不在であることだ。」

「権威が無いということは、権力と経済の外部が無いことであり、それは中国共産党の情報統制や政治支配を超えた現象である。そのことは中国国外におり、比較的客観的な情報に接し判断が可能な中国人が、にもかかわらず本国の人々の動きに追随することに現れている。」

「中国が権力と経済の外部を持つことがなければ、中国は力づくの強国にはなれるだろうが、精神的さらには政治的な影響力を持つ大国にはなれないだろう。その意味では中国が大国だったのは清までだったといえる。なぜ清までは大国であり得たのか、清以後、中国は何を失ったのかを考えるべきだろう。」

彼の意見が空疎だとはいわないが、政治権力や経済の上位に倫理とか、伝統的な墨家的精神を期待しようとするのは難しい。なぜならば、清以後の中国が変わったのは中国人だけの責任ではなく、世界史の流れにおいてそうなったということだからだ。欧米列強による植民地支配や、大日本帝国による侵略がなければ、毛沢東が勝利して中国が社会主義国になっていたかどうか疑わしい。そういう意味で、共産党が支配する現代中国は、現代史の産物なのだし、今の中国人にかつての古代的余裕とか風格がないようにみえるとしても、当たり前のことなのである。