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D.C.ギアリー『心の起源 脳・認知・一般知能の進化』(小田亮訳、培風館
アルヴァ・ノエ『知覚のなかの行為』(門脇俊介+石原孝二監訳、飯島裕治+池田喬+文景楠訳、春秋社)
ジョン・R・サール『行為と合理性』(塩野直之訳、勁草書房
ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド! 哲学の挑戦』(宮原勇訳、筑摩書房

いずれもいい本です。特にノエの本は『知覚の現象学』の問題意識を引き継いでいますから、お勧めです。
ただ、ノエもサールも、ケーラーの実験を参照していますが、メルロ=ポンティと同じですよね。20世紀終わり頃に彼らの本は書かれたはずですが、経験科学の進歩はなかったのでしょうか。そんなはずはないだろうと思うけど。
ギアリーの本については、意識、言語、認知などを進化的に獲得されたものとみなすのはごく普通の発想ですし、当然だと思います。意識や言語の起源を問うのが難しいのは、我々が意識や言語のなかで問いを立てるしかないからですが、それでも、脳が一定程度発達して複雑にならなければ意識もないのではないかとか、口蓋などが一定の構造に進化したのでなければ分節化された音声を発することもできないから言語もないのではないかとは考えることができるでしょうね。
サールの本は志向性を強調しますが、ちょっと大雑把な印象です。テキストを精密に読むというよりも、彼が批判したい説、例えば「唯物論」を6か条くらいに要約して反論してみるというようなスタイルです。

林達夫『歴史の暮方』(中公文庫)

いずれにせよ、上っつらな物識りや考案家を作り、そして安易な生活合理主義をしかせいぜいのところ生み出しえないような「科学する心」などにきっぱり絶縁状をつきつけることが、真の科学精神のそもそもの第一歩なのである。「科学する心」が「科学精神」の対立物であるという簡単な認識さえもてないような非科学的人間が、充ち足りた顔で科学について熱を上げているところに、救い難い日本の不幸があるのだ。

ジャン=フランソワ・リオタール『非人間的なもの:時間についての講話』(篠原資明、上村博、平芳幸浩訳、法政大学出版局)、金杉武司『心の哲学入門』(勁草書房)、西川アサキ『魂と体、脳:計算機とドゥルーズで考える心身問題』(講談社選書メチエ)、佐々木正人ダーウィン的方法:運動からアフォーダンス』(岩波書店)、アンドリュー・フィーンバーグ『技術への問い』(直江清隆訳、岩波書店)、東浩紀北田暁大編、宇野常寛編集協力『四艘地図 vol.4』(NHK出版)、イヴォン・ベラヴァル『ライプニッツデカルト批判(上)』(岡部英男・伊豆藏好美訳、法政大学出版局)、茂木健一郎『意識とはなにか──〈私〉を生成する脳』(ちくま新書)、重野純『聴覚・ことば(キーワード心理学シリーズ2 重野純・高橋晃・安藤清志監修)』(新曜社)、佐々木正人、三嶋博之編訳『生態心理学の構想:アフォーダンスのルーツと尖端』(東京大学出版会