感想

(1) 後期の丸山圭三郎の文化理論に依拠して大丈夫か。(2) 「身体」のステイタスが問題である。身体はただの物質や機械ではないが、精神、意識、心にも還元されないから、身体に定位すれば心身二元論等を超えることができるようにみえる。しかし、ニーチェの真似をして「身体に問い尋ねる」「身体をひとつの視点とする」人々の多くは生命主義などに帰着します。身体についての新たな形而上学をでっち上げて終わります。ですから、そのことには慎重である必要があります。miyaさんが最後に持ち出したポランニーについては、もしポランニーも吟味せねばならないなら、問題が一個増えるのだというだけです。

そういうことを抜きにしていえば、90年代ポスト・モダン・ジャズ(こういう表現が妥当なのかどうかも不明です)が本当に根本的な変容、切断なのかどうか、が唯一の大問題でしょう。それは音源を全部丹念に聴かなければ分からないし、仮にそうしてみても分かるという保証はどこにもありません。