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Jacques Lacanは"l'inconcient est structue comme un language"(「無意識はひとつのランガージュとして構成されている」)といいましたが、正確にどの論文のどの箇所でそういっているのか特定するのにちょっと苦労しています。手持ちのLacanのSeminaireや"Ecrits"(Editions du Seuilのポケット版)を読んでも特定できません。"Le Seminaire sur La Lettre volee", "Fonction et champ de la parole et du langage en psychanalyse", "L'instance de la lettre dans l'inconscient ou la raison depuis Freud"のどれかではあろうと思うのですが、幾ら読んでも見当たりません。

ジャック・ラカンフロイト理論と精神分析技法における自我』、『無意識の形成物』を読み、面白いと思いましたが、疑問を持ちました。具体的にどういう疑問かを説明すると長くなるので今すぐにはいえません。向井雅明『ラカンラカン』(金剛出版)は、ラカンに忠実に解説書を書くとこうなるしかないというものでしょう。ジャック・デリダ精神分析の抵抗』は精緻な議論で感銘を受けました。赤間啓之『ユートピアラカン』(青土社)、丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社現代新書)はひどすぎました。香山リカがわけのわからぬ「可能世界論」などを考えてしまったのは恐らく赤間の影響でしょう。com-postでmiyaさんが「身分け・言分け構造」を言い出したのは丸山の本のp.166以下に根拠があります。その丸山は、市川浩の『〈身〉の構造』に依拠していますが、全部出鱈目です。

加賀野井秀一メルロ=ポンティと言語』、前田英樹編・訳・注『ソシュール講義録注解』。丸山圭三郎市川浩に引き付けすぎですし、前田英樹ベルクソンドゥルーズに引き付けすぎです。どうして言語を論じる人々はこうも自分勝手なのだろう、と呆れてしまいます。Art Tatum "The Complete Pablo Solo Master Pieces: Disc One"、Tatumを否定するジャズファンが大勢います。高校生の頃市川ジャズ倶楽部に入っていましたが、会長さんにTatumが好きだといったら、「Dolphyのほうがいい」という返事でしたが、TatumとDolphyは全く違うから比較できないのではないでしょうか。ちなみにその会長さんは今アフリカ音楽普及に取り組んでいるそうです。それから、闇の音楽相談室の所長は、Tatumは「曲芸っぽ」という感想でしたが、晩年のPabloでの録音はそうではないと思います。