近況アップデート

おはようございます。今日は少し違った角度から考察します。まず、インターネットについてです。そもそも、スペースAKの空閑明大さんという方(私はこの人とお会いしたことがないし、今後お会いするつもりも少しもありません)は、何の役職にも就いていなくても、初期のNAM事務局を支配していましたが、その彼の意見は、インターネットは空疎である、メーリングリストは未熟である、だからみんな自分のスペースAKに実際に来て自分(=NAM)のために実働すべきである、というようなことでした。なるほどインターネットのコミュニケーションに限界があるというのもメール交換でできることはたいしたことではないので「未熟」だというのもそれはその通りでしょう。でも、それは自明なことなのではないでしょうか。現実をいえば、その空閑さんを含め少なからぬ人々がメールなどがどうしても苦手でできなかったというだけです。そういう人は別に空閑さんだけではありません。NAM東京の最初の代表をしていた小森陽一さんという夏目漱石の研究者の方も、インターネットやメールを否定するとかいうことではなく、ただ単にメールをメーリングリストに投稿するというだけのことも技術的にどうしても分かりませんでした。そういう人々が多かったのもどうしようもなかったと思います。

私の記憶が正しければ、柄谷さんはその空閑さんに200万円渡したはずです。その金銭で小さな事務所を借りて、それをNAMの事務所にしてもらいたいというようなことでしたが、しかし空閑さんは勝手に大きな物件を借りてしまいましたので、家賃の支払いに苦労することになりました。初期のNAMのトラブルの原因というのはそういうしょうもない些細なことから始まりました。

私自身は大阪のスペースAKに行ったり、空閑さんと会ったりしたことはありませんが、知っている範囲でいえば、スペースAKは古本屋でもあれば左翼の集会や交流会をするような場所でもありました。現在もあるはずです。先程申し上げた通り、空閑さんは広い物件を借りてしまい、家賃の支払いがしんどかったので、NAM会員に自分のスペースAKに来てもらって金銭を払ってもらわなければ経営がやっていけない、というようなことになりましたが、でもそれは、彼が小さな事務所ではなく大きな物件を独断で借りたからそうなっただけなので、どう考えても自業自得です。

空閑さんには、彼に自己犠牲的に奉仕してくれる若い人々が大量にいました。事務局長の乾口さんをはじめ、岩田さん、米正さんなど沢山の人々がいましたが、そういう関西の人々の意見は、空閑さんは善人、いい人なのだというようなことでした。そうなのかもしれませんが、でもその空閑さんという人は、他人、例えばNAM東京の人々を理不尽に罵倒したり恫喝したりするどうしようもない人でした。メールでそうだっただけではなく、柳原さんに毎日「ぶっ殺す」などと脅迫電話を掛けてくるような人でしたが、私自身がそういう人のことを善人、いい人などと少しも考えないのも当然なのではないでしょうか。

NAMの全国大会があり(私は行きませんでしたが)、そのとき、空閑さんは高瀬さんなどのNAM東京の人々を入場させるのを拒もうとしたそうです。山城さんは自分に謝ってきたから許してやってもいいとかいう話でしたが、実に自分勝手です。高瀬さんは当然、非常に不愉快でしたが、NAMではそういう不愉快な人間すら排除してしまうわけにはいかない、といっていました。

最終的に当時NAM代表だった柄谷さんが、空閑さんと訣別しましたが、事務局長の乾口さんは「彼は工場労働の仕事をやめてスペースAKを開いたからNAMの原理を実行した唯一の素晴らしい人間だ」とかいう理解不能の破綻したロジックで空閑さんを擁護しました。けれども、工場をやめて古本屋を開くことがNAMの原理を実行することなのだなどという考えはくだらないと思います。しかも、自分の金で開いたわけですらなく柄谷さんの金なのです。

空閑さんは、自分が個人的に嫌いな人々はメーリングリストに登録しないとか、排除してしまうなどといった我儘勝手をしていましたから、そういうことでは困るので、NAM事務局を移転してもらいましたが、でもそのことに、空閑さんは激しく抵抗しました。彼にとってはNAM事務局の持っていたもの(それは第一に会員情報であり、第二にNAM会費からなる資金です)が彼のくだらない権力の源泉でしたから、それを手放したくなかったというだけです。でも、太田出版の高瀬さんが大阪まで出向き、柄谷さんや乾口さんも同席して、会員データなどを引き渡してもらいました。けれどもそのときに、多額の現金がなくなってしまっていました。

倉数さんが事務局長だったとき、NAMのセンター評議会にその経緯を報告しました。NAM会計報告をみれば、意味不明に多額の現金が消滅してしまっているのは自明でしたので、どういうことなのか評議員に説明する必要があったのです。倉数さんはありのままを書いて報告するしかありませんでしたが、評議員はそれを読んで呆れたはずです。理不尽に多額の金銭が消滅したし取り返す手段もないのだというような話ですから、そういうことにみんないやになってしまっても当たり前でしょう。

後年柄谷さんは子分に命令して、「Qの会費を即座に返金しなければQの委員会を民事的に告訴する」というメールをQの一般会員(ユーザー)のメーリングリストに大量に投稿させましたが、私の意見では、もしそういうことをいうならば、スペースAKにいうべきだったと思います。なぜならQ会員は自分なりに納得したからQの会費を支払ったはずですが(関井さんでも山住さんでも、関井さんの弟子連中でもみんな同じです)、NAM会員が一所懸命支払った高額なNAM会費をスペースAKが勝手に使い込んでしまうなどといったことはそれとは次元が違う話だからです。でも柄谷さん自身もNAM事務局もお金を取り返すのを諦めてしまいました。「金銭のことはもういいから、ポジティブに前向きにこれからNAMの運動をやっていきたい」というのが柳原さんの意見で、彼は結局そういうことにしてしまいましたが、そういうことで良かったのかどうかは甚だ疑問です。柳原さん自身が常に前向きでポジティブであるなどということは全く関係がない話です。柳原さん個人の金ではないのですから。

少し空閑さんや乾口さんの事務局を擁護すれば、当時NAMの会員が増えていたけれども、彼らにはパソコンの知識が皆無で手作業でしたから、パンクしてしまったというような事情がありました。空閑さんのためにボランティアで尽くしてくれる若い人々が沢山いましたが、空閑さんはそういう人々を能力がないなどと罵倒していましたけれども、どうしてそんな権利があるのでしょうか。なぜならみんな彼のために無償で尽くしてくれたのです。感謝するのが当然なのではないでしょうか。それに、パソコンの知識がないから手作業になってしまい、実務がパンクするとかいうのなら、NAM東京のパソコンに詳しい人々に応援してもらえばよかったというだけの話です。

インターネットの話に戻りますと、空閑さんと訣別して、柄谷さんは、メールが空疎だから直接会うべきだというような考えを「Kの空疎な原理」(Kとはもちろん柄谷さんではなく空閑さんのイニシャルです)とNAMのMLで頻りに馬鹿にしていましたが、そういう柄谷さん自身が自分が馬鹿にしていた空閑さんと同じ意見になってしまったというのは実に皮肉です。客観的にいえば、空閑さんの意見と柄谷さんが最終的に到達した結論は全く完全に同じであるというしかありません。

インターネットやメーリングリストには限界があるとかいうのはただ単に自明なことです。後藤さんに限らずメールで意思疎通するのが難しい人々が膨大にいたのもどうしようもありませんでした。そうはいっても、だから電話すればいいとか、会いにいけばいいのだというような話でもないはずです。

ただ、私が不愉快だったのは、空閑さんを暴力的に排除してNAMをやめさせてしまってから後、柄谷さんが、「乾口さんや岩田さんが空閑さんのスパイとしてNAMに残っている」などと被害妄想をしきりに投稿していたことです。もともと近畿大学で柄谷さんの弟子だった乾口さんにせよ、NAM福祉の最初の代表をやっていた岩田さん(彼女は看護婦だったはずです)にせよ、それなりに一所懸命に柄谷さんやNAMのために献身して尽くしてくれた立派な人々であったはずです。乾口さんが事務局長のポストを引き受けてくれなければNAMを作ることもできなかったのではないでしょうか。献身してくれた人々を、後になってからあいつはスパイであるとかいうくだらないことをいうのも、Qの紛争と全く同じで、どうしようもないことだったと思います。

確かに乾口さんが、事務局長でありながら、NAM東京の人々を恫喝したり「分派」呼ばわりしていたのは非難されても仕方ないようなことだったでしょう。でも、彼や彼の関西の仲間達は、大変なビラ貼りなどの実働をして頑張っていました。ところが、柄谷さんの理屈は、ビラ貼りは無意味である、NAMはNAMの原理が素晴らしいからその認識によって自動的に拡大する、だから実際に体を動かす実働はくだらない、というようなことでしたが、公平にいって柄谷さんのいうことのほうがおかしいと思います。NAMの原理が認識として優れているから何も努力などしなくても自動的に拡大するのだなどと考えるのはどうしようもない錯覚なのではないでしょうか。

それに岩田さんのような人が倒れてしまったのも、彼女自身の看護婦としての賃金労働が大変だったのに加え、NAMの事務局の実働が過重だったからでしたが、NAM代表という立場の柄谷さんは彼女のような人をスパイ呼ばわりするのではなく気遣うのが人として当然だったのではないでしょうか。

努力は一切不要であるというのが柄谷さんの一貫した信念でしたが、くだらないし間違っていると思います。地域貨幣についても、それを広める努力などしなくていいというのが彼の意見でした。「L」はつまらない努力などしなくても自然に拡大するのだといって彼は自慢していましたが、その「L」が実現しなかったのはどうしようもない端的な事実です。

岡崎さんも、円と同じくらい簡単に使える地域貨幣があるといいのにな、とかいっていましたが、私はそういう地域貨幣は存在しないと思います。柄谷さんの「市民通貨」などもそうでしたが、どうして知識人が現実にあり得ないものを考えてしまうのかというのは、私のような平凡な人間にはどうしても分かりません。幾ら論理で粉飾しても不可能なものはどうしても不可能であるという事実が動くことなどあり得ません。

岡崎さんの考えに近いものがもしかしてあるかもしれないとすれば、それはLETSではなく森野さんが考えたWATでしょう。実際、WATには岡崎さんの親戚だか兄弟姉妹だか関係の人が入って活発に取引をしていたと思います。森野さんという人はマルクス主義者が嫌いでしたが、柄谷さんは『日本精神分析』で、とりたてて合理的な根拠もなくその森野さんや「ゲゼル研究会」を罵倒してしまうというようなしょうもないことをやりました。ケインズがゲゼルに言及しているそうだがそれがどうしたんだ、というような理屈とすらいえないような理屈で否定したのです。そういう柄谷さんが日本の地域通貨研究者達から憎まれてしまうのも当然なのではないでしょうか。

私がすっかり呆れてしまったのは、NAMが解散した後のことですが、嵯峨生馬さんとか池田正昭さんとかいう元々博報堂の『広告』にいたけれども独立して地域貨幣を始めた人々の集まりに飛弾さんが行き、嵯峨さんなどその場にいた地域通貨の人々に、「市民通貨が幹線道路のようなものになるのだ」というような柄谷さんの意見をそのままいってしまい、嵯峨さん達を困らせてしまったというようなことです。そもそも市民通貨=幹線道路とかいうのに何の根拠も現実性もないのに、そういうことを現実に地域通貨を展開している人々に向かって偉そうに言い募る神経が理解できません。それはただ単にその飛弾さんが柄谷さんのファンであることを表明しているということ以外の意味は一切ありません。

「L」は存在しませんが、嵯峨さんが考えた「r」は渋谷に現実に存在しています。ただのアイディアと実在物が違うということを飛弾さんが理解できないしする気もないというのは、私にはどういうことなのかちょっと分かりません。それだけ柄谷さんが好きだということなのでしょうが、そういう熱烈なファンが沢山いて自分にいつまでも奉仕してくれる柄谷さんは幸せな人だと思います。

その嵯峨さんや池田さんが、Yahoo! GroupsでMLを作るのと同程度に容易にLETSを立ち上げることのできる"CCSP"を作ったとき、彼らは随分マイケル・リントンと相談してリントンの意見を聞いたはずです。リントンの忠告を取り入れたからといって、"CCSP"がそれほど爆発的に成功しているようにはみえませんが、それでもQであれば、穂積さんのような能力があるプログラマーがいなければどうにもならなかったのを、"CCSP"だと簡単にやれるというのは端的に進歩です。私自身も少々"CCSP"を試しましたが、私が作った地域貨幣の会員は増えませんでした。それも致し方がなかったのでしょう。

自分が"CCSP"を実験したがうまくいかなかった経験から分かったのは、online LETSを作るというだけのことならば意味がないのだということです。Qでも"CCSP"でも、ネット上にLETSを立ち上げたから自動的に会員が増えるなどということは絶対にありません。どうしても具体的な人間関係が必要です。それがなければ地域貨幣はやれないというのは当たり前ですが、そういうことが身に沁みて分かりました。

私が漠然と思うのは、西部さんはリントンと知り合いだったのでしょうから、Qを作るときもリントンのアドヴァイスを訊いてみればよかったのにな、ということです。鈴木健さんのアイディアはとても面白いし、頭が良い人なのでしょうが、私には彼のアイディアが実現可能なようにはみえません。評判貨幣とか伝播投資貨幣とかも、数学的に難し過ぎますから、多くの人々には使えないだろうと思います。少なくとも私には使えません。鈴木健さんはQプロジェクト(namプロジェクト)の副代表でしたが、私は鈴木さんよりもリントンの助言を取り入れていたならば、もう少し使いやすい地域貨幣が作れたような気もします。

それにそのリントンの「スマートカード」なども、本当に実在するのかどうかすら私は知りません。実在するとしても日本に入ってきていないというのは絶対に確実であろうと思います。それが入ってきたら当然評判になるはずですから、私にも分かるはずです。

私は孤独に生きているし、昔からそうでした。大学院で友達を作る気など少しもありませんでした。ドゥルーズを読むことに多少関心がありましたが、大学院で、教授、助手、大学院生達と友達になったり人間関係を築くのがいやでした。大学院の人々が個人的に嫌いだったからですが、私は偏屈なのですから、致し方がなかったのでしょう。ですから、NAMで様々な他人と出会いましたが、楽しいことも少しあったとしても基本的に不愉快でした。昨日、一昨日、Facebookはてなダイアリーに書いたような、人を騙しても不要に傷付けても平気であるというような連中に好感を持てるはずもありません。「L」はQを潰すためにでっち上げた、それが正義である、などということをいって、私が怒るのを西原さんが予想できなかったというのがちょっと理解できません。そういうのはしょうもない欺瞞だと思うのが普通ではないでしょうか。自分は「英雄」だとかいう後藤さん、これは「祭り」だとかいう柄谷さんの息子さんが不愉快なのも当たり前です。だから、NAM以降、私がますます人間嫌いになったのも自然な帰結です。

吉本隆明さんが亡くなりましたので、彼のことを少し書きます。

私が読む限り、吉本さんの理論には非常に無理が多かったと思います。『言語にとって美とはなにか』はソシュールを誤解していますし、もし文学の言語だけを考えたかったのなら逆にソシュールを含めて言語学を無視すべきだったと思います。『言語美』は一方で言語学を考慮し、他方でハイデガーの詩論などを考慮しているので、最終的に訳の分からぬ分裂した話になってしまいました。

共同幻想論』が柳田國男の『遠野物語』から国家論を展開しようとしたのは端的に不可能だったと思います。

『心的現象論序説』のフロイト原理主義も訳が分かりません。死の欲動のことを「原生的疎外」などと言い換えても無意味なのではないでしょうか。

私が吉本さんの書いたもので一番不愉快だったのは、「子供の自殺は親の代理死だから、子供に自殺された親は市民運動などやらず、自分の責任を感じて反省すべきだ」などというどうみても何の根拠もないようなどうしようもないことを著作で繰り返していたことです。それに限らず吉本さんには合理的な根拠がない独断がたくさんありました。

けれどもそういう私は吉本さんが好きでしたので、彼の本は全部読みました。『悲劇の解読』と『源実朝』が一番面白かったと思います。

80年代くらいから吉本さんは人気者になってしまい、ちょっと本を出し過ぎたような気がします。もう少し彼にとって本質的なことだけを考えればよかったのに、とか思います。

『ハイ・イメージ論』を読むと、ライプニッツとかジョン・ケージについて滅茶苦茶なことが書いてありますので、絶望してしまいました。吉本さんが無理にジョン・ケージを論じる必要などなかったはずですが、残念です。

そういう意味では、柄谷さんが音楽のことはよく知らないから音楽を論じないのはそれなりに賢明なような気がします。誰であれ余り知らないことを論じないほうがいいでしょう。

吉本さんは「映画監督北野武」になってしまう前の芸人ビートたけしが大好きで著書で称賛していましたが、そのビートたけしのほうは、吉本さんを馬鹿にして彼の本で罵倒していました。吉本さんは60年安保のときに全学連と国会に突入して逮捕されたという過去の栄光、過去の遺産だけで生きている人間だ、というのがビートたけしの意見です。私にはビートたけしのいうことはよく分かりません。

私からみれば、そのようなことをいうビートたけし自身の「行動」も、たけし軍団を率いて講談社に突入してみたというだけではないか、とか思います。後年彼が芸術家、「映画監督北野武」として偉くなったとかは全く別の話です。それに私は彼の「TVタックル」が好きではありません。「TVタックル」に限らず彼はTVに出まくっていますが、私は面白いと感じたことがありません。

さて、柄谷さん自身が実に楽しげに笑いながら私に自慢したことですが、彼は2003年に山城さんを罵倒して絶交してしまいました。山城さんが彼に会いに来て「NAMの原理はどこか間違っている」といったので、キレてしまい、『可能なるコミュニズム』の山城さんの論文はクズであるなどと罵倒して絶交してしまったそうですが、私はびっくりしましたし、あれこれ疑問を感じました。

私にはそういうことを他人に自慢してしまう神経が理解できません。物書きの世界を知りませんが、山城さんは柄谷さんよりも弱い立場なのであろうと推測しても不合理ではないでしょう。そういう山城さんを罵倒して傷付けてしまい、嘲笑する柄谷さんはいやな人であると私が感じるのも当然なのではないでしょうか。

それに「NAMの原理はどこか間違っている」などは山城さんだけの考えでもないでしょう。NAMに入っていた人でそういうことを少しも考えない人がいたならばただ単に現実認識能力が欠如しているだけです。

柄谷さんの表現を正確に再現すれば、「鎌田ならともかく、山城にはこたえたろ」ということでした。そうしますと、柄谷さんは、鎌田さんは自分に反撥しているが、山城さんは自分を尊敬し信頼している、というようなことをよく承知したうえで、わざと悪意的にその山城さんを傷付け、しかもそれを他人に自慢して喜んでいる、というような残念な話になってしまいます。そういう人はろくでもないのだと私が考えるのはごく常識的です。そういうことを柄谷さんと一緒になって喜んでいた浅輪さん、石黒さんなどの人々のほうがどうかしています。他人を傷付けるのがそれほど楽しいことなのでしょうか。

それに問題はそういうことだけでもありません。『可能なるコミュニズム』の出版はNAM結成の前です。もし山城さんの論文がそれほどまでに無内容で無意味だと考えるなら、どうしてNAM理論系の副代表や規約委員会に迎え入れたのでしょうか。理論系の代表は浅田彰でしたが、浅田さんは実務を全く何一つやりませんでしたので、実質的には山城さんが代表者のようなものでした。

『可能なるコミュニズム』には鼎談を除けば、柄谷さんの論文、西部さんの論文、山城さんの論文が入っていましたが、2003年の段階で柄谷さんは西部さん、山城さんを罵倒して絶交してしまい、ありとあらゆる意味で全否定してしまいました。そうしますと、柄谷さんの論文しか残らないということになってしまいます。NAMをやってみたらそうなったのだというならば、柄谷さんという人には誰か他人と一緒にものを考えたり実行するというようなことが全くできないのだと思われても仕方がありません。

柄谷さんが山城さんの論文をクズだといったのは、山城さんが労働価値説を重視するからですが、そういうことが柄谷さんの意見と合致しないとしても、普通にマルクスを読めば労働価値説がマルクスのテキストに確かにあるというのは客観的な事実でしょう。自分の特殊な『資本論』解釈(それが妥当かどうかは誰にも分かりません)と合致しないからクズとかいって全否定するのなら、他人と一緒にものを考えたり実行できないのも当たり前でしょう。ちなみに西部さんを全否定した理由も『資本論』の読み方が自分と違うとかいうしょうもないことでしたが、私個人はそういう教条主義を好まないし、そういうことでは全く何もできるはずもないと思います。

そういう私自身にも山城さんへの疑問はありますが、それは労働価値説が妥当かどうかというような話ではありません。私は山城さんに興味関心が全くないので聴きに行きませんでしたが、彼がNAMで生産協同組合について講演したことがありました。聴きに行った人の話では、彼は、生産協同組合をやるのは資本制企業を経営したりそこで労働するよりも遥かに困難だから、卓越した能力が要求されるというような講演をやったそうです。けれどももし、彼のように考えてしまうならば、彼が考えるような生産協同組合などは誰にも実行不可能になってしまうのではないでしょうか。当たり前ですが、NAMの人々はごく普通の人々であって別に超人などではありません。山城さんの考えを誰も実行、実現できなくてもしょうがないのではないでしょうか。私は、無理難題をいってハードルを高くしてどうするのか、と思いますし、それに山城さん自身が自分が主張していることをほんの少しでも実行しているというような話でもありません。