近況アップデート

Ustreamで話したことを全部繰り返すことはできませんが、一つだけいえば、私は37年間生きてきましたが、記憶らしい記憶は3つくらいしかないような気がします。(1) 一つは杉原さんが自分には夢があると語っていたことです。(2) 二つ目はQの委員会で西部さんが、小学校の校長先生のようだけれども、といって演説していたことです。(3) 三つ目は「雪だるま」の話です。記憶が曖昧ですが、多分西部さんがそういう話をしていたような気がします。後年何かの紛争になってから、もう少し落ち着いて貰いたいという意味で或る人(啓蒙思想を研究していた人)が「雪だるま」の話を西部さんに思い起こさせたような気がします。そして、それだけです。それ以外にありません。

十年前、私は一時蛭田さんの「スペース・イモケン」に住んでいたようなものでした。ですから、当時の思い出が沢山あってよさそうなものですが、どういうことになってしまっているのか自分でも理解できませんが、記憶がほとんど全部消滅してしまいました。

多分NAMの人々と楽しく交流したというようなこともあったはずですが、記憶が消滅しましたので、全くわけが分かりません。それなりに大切なこともあったはずですが、消滅してしまいました。

そういうことは残念であると感じますが、致し方ありません。

杉原さんが「自分には夢があった」といっていたのはメールだと思いますが、もっと大事なこともあったはずですけれども、記憶にありません。どうして「自分には夢があった」という話だけ覚えているのかもよく分かりません。

西部さんの演説に感動したというのは、当時はQの委員会も平和でしたから、それなりに楽しかったしやりがいがあったのでしょう。

「雪だるま」というのはよく分かりません。西部さんという人は北海道に住んでいますから、「雪だるま」を作ったということなのでしょうか。

昨日か一昨日書いたと思いますが、杉原さんの夢というのも具体的にどういうことか聞いたはずですが、忘れてしまいました。そして、それだけです。

多分理論とか理屈のことを話しても、私と杉原さんでは意見が全然一致しないでしょう。でも彼の断片的な話の幾つかをよく覚えています。NAMの人々が純真であったとか、自分には夢があったとか、そういうことです。

杉原さんに限らず、人間誰でも夢の一つや二つがあっても当然でしょう。それなのにどうして、彼の夢が印象に残っているのか分かりません。

いろいろな人の感じ方があるのでしょうが、私にはNAMに政治的な意味があったようには思えません。ただ、ほんの少しの印象や記憶が残っただけです。

Qの紛争が深刻になってしまったようなときに、柳原さんや彼の知り合いの弁護士数人と、Qに関係する法律の問題を話し合うために会ったと思います。その話し合い自体の記憶は消滅しましたが、柳原さんが、「自分の子供が不出来だからといって、絞め殺してしまうことはない」といっていたのはよく覚えています。親というのは柄谷さんのことで、子供というのはQのことです。Qにはいろいろ問題があるのだろうということは我々も感じていましたが、でもだからといって暴力的に絞め殺すようなことをしなくてもいいだろうと思っていました。でも柄谷さんはそういうことをやりましたし、後に柳原さんや私自身もQを破壊してしまいましたから、非常に残念で残酷であったと感じます。

柳原さんについて残酷に批判しましたが、でも彼はとても温かい人だったような気がします。何度も書いているように、彼は善意の人でした。私はそういう人に遭遇したことがありません。

それから2002年9月にNAM東京の人々でamour-qというメーリングリストを作り、柳原さんが管理人をやっていました。倉数さんが、柄谷さんがQを破壊してしまうのではないか、という意味のことをいいましたが、柳原さんは、柄谷さんは「頑固な自由主義者」だから絶対に大丈夫です、と応答しました。その後をみると、倉数さんが予想した通りになりましたが。私は、後ろめたいことはないから過去ログを公開したほうがいいと思いましたが、理由は分かりませんが反対する人がいたのでそうはなりませんでした。

柳原さんは彼の息子が自由の森学園に通っていた頃(1980年代でしょうか)からずっと柄谷さんと親しかったはずです。どうしてその柳原さんが柄谷さんの行動を予想して的外れだったのか分かりません。倉数さんは近畿大学で柄谷さんの弟子で、柄谷さんの私生活や人柄なども熟知していたので、倉数さんのほうが合理的で適切な予想ができたということかもしれません。

最終的には「私には夢がありました」と杉原さんが書いていたということ以外全く何一つ残らない気がします。どうしてそういう些末などうでもいいことだけを覚えているのかというのはよく分かりません。

NAMやQでその他に様々なことがあったのでしょうが、その多くが二度と思い出したくないようなことであったと感じます。そして、2003年以降にあかねやフリーター労組をやっていたとしても、その記憶も全くありません。欠落しています。

これもNAMが解散してからのことですが、杉原さんが、自分にとっての理論というのは価値形態論が全てであるということと、アルチュセールを維持するべきかどうかが自分にとっての問題だということを語っていたのが思い出されます。NAMが解散した後でなければ、お互い本当にどういうことを考えているのか分からなかったのです。ちなみに私自身もマルクスアルチュセールを読んでみましたが、興味が持てなかったので、当たり前のことですが、杉原さんと自分は考え方が違う人間だと思いました。

私は『マルクスのために』『資本論を読む』に興味関心がなかったし、晩年の偶然性の唯物論というアイディアはどこからどうみてもトンデモだと思いました。でもそれを評価する人々も多いのですから、トンデモではないのかもしれませんが、私には理解できません。ああいうハイデガーウィトゲンシュタインの唐突な持ち出し方はちょっとないだろうと思います。

杉原さんはもともとは価値形態論にしか興味がなかったのだとしても、その後近代経済学新古典派)を含めてあれこれ幅広く勉強したようです(といっても、彼の場合どこまでも経済学ですが)。新古典派はそれなりに面白いというようなこともいっていました。ワルラスのような人も、マルクスの政治構想とは違うものだとしても、彼なりに社会主義を考えていましたから、杉原さんもマルクス主義者だから近代経済学は馬鹿にするということでは良くないと考えたのでしょう。

私はアルチュセールが書いたものではマキャヴェリについて書いたものが一番面白いと感じました。ネグリにとってもマキャヴェリは重要でしたが、多分社会思想史では最も重要な思想家なのでしょう。

NAMについては、そもそもそういう話ではなかったはずですが、柄谷さんと西部さん、NAMとQ、そのいずれかを選べというようなことになってしまいました。多くの人はどちらかを選んだということなのでしょうが、私にはそういう選択はできませんでした。私はQはNAMの人々が作ったし、だから「NAMの所有物」だということにはなりませんが、しかしそれなりに責任があると思っていました。その後Qの委員会を離れてしまってからも、そういう基本的な考え方は変わらなかったように思います。

cyubaki3という友達が最近の私のはてなダイアリーを読んで、NAMは狂人の集まりなのかと絶句していました。私は精神病院に通っているから狂人なのでしょうが、その私からみても呆れてしまうような人々が多くいたというのは事実でしょう。特に私が腹が立つのは、柄谷さんやNAMと関係ない一般人に迷惑を掛けてもいいのだというような考え方です。逵さんがNAMには入らなかったがQには入った(Qの代表にまでなった)というのは彼なりの熟慮の結果だったのだろうと思いますが、その逵さんに不要な苦痛を与えたのは申し訳なかったと感じます。

逵さんを苦しめたのはNAMだけではなく、鎌田さんでもありました。逵さんは非常に善良でしたから、彼を苦しめた人々に対しても公平でした。例えば、鎌田さんが西原さん、茨木さん、後藤さんなどの実務労働者(登記人)の実務能力を否定したり、柳原さんの法律家としての能力を否定したりすることが残酷だと感じていました。そのような人々は、最終的にQを残酷に壊してしまった人々ですが、そういう人々にさえ、逵さんは公平でありたいと考えたのです。そこから彼がいかに良心的で善良だったかということが分かります。その逵さんに比べれば、NAMの人々になど少しも倫理などありませんでした。

私自身は、鎌田さんに賛成するわけではないですが、実務労働者の人々や柳原さんが否定されても致し方がないと思います。茨木さんは自分には倫理が大事だといっただけなので別に悪を為したわけではないでしょうが、西原さんは「L」がQをぶっ壊すためのでっちあげなのだなどと、NAMの人々を騙して平気でしたし、後藤さんは「不正高額取引」をやったうえそういう自分が「英雄」だなどと考えてしまいました。そういう人々の実働や労働は疑われても仕方がないし、柳原さんにしても「Qは二度死ななければならない」のなかで、法廷で宣誓するほどの、とまでいったのですから、法律家としての名誉や尊厳を賭けてあの文章を書いたのだと考えられてもやむを得ないので、それが虚偽ということであれば、法律家としても疑問だというしかないと思います。私自身最近そういうことを書きました。

そういう鎌田さんは、逵さんにとっては「Qの大審問官」でした(多くの人々は既に知っているでしょうが、「大審問官」はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てきます)。鎌田さんは、NAMの人々を全員やっつけてしまっただけではなく、Qの人々(三木さん、石黒さん)も残酷にやっつけましたし(しかもそれを『web重力』などに勝手に掲載してしまいました)、NAMを否定するついでに無関係の「あかね」も否定してしまうというようなしょうもないことをやりました。そういうことは絶望的だし、そういう鎌田さんについていける人々も少ない、というかほとんどいるはずもないと思います。

非常に稀な善意の人であるという点で、柳原さんと逵さんはいい勝負だったと思いますが、でもその柳原さんは、あれだけのひどいことを経験してきた後になってさえ、柄谷さんこそが真にヒューマンなのだというどうしようもない結論に到達してしまいました。どうして彼がそういうふうになってしまったのか全くわけが分かりません。恐らくただ単に、柳原さんが個人的に柄谷さんが好きだったというだけのことなのでしょう。