近況アップデート

柄谷さんとその息子さんが考え出した「市民通貨L」を検討しますが、その前に柄谷さんの息子さんのことを少し考えてみます。柄谷さんの息子さんは実は頭がいいのだという人々もいましたが、私にはよく分かりません。ただ、彼のメールは箇条書きになっていました。10項目くらい列挙してあって、要するに、民事的に告訴する、というようなことでした。民事的に訴えるというのですから、法律の知識が多少はあったのでしょうが、それが知識的であるというふうにいえるのかはちょっと分かりません。私が知っているのは、理由は知りませんが、彼が高校の卒業式で壇上で卒業証書を破り捨てたことですが、なるほど個性的な人なのでしょうけれども、だからどうこうということでもないでしょう。彼は一時消費者金融の会社に勤務していましたし、父親が所長である近畿大学の研究員にもなりました。それをやめてから、普通の会社に普通に就職しましたが、労働条件も悪くないしこれで良かった、と彼が彼自身の掲示板で書いているのを十年前に読みました。確かに彼本人にとっては特に展望がない「L」などをやるよりも、会社勤めをするほうがいい、ということだったのでしょう。

さて、2002年の終わりだったと思いますが、柄谷さんとその息子さんが、彼らの考案した「L」を説明するために早稲田大学にやってきました。多くのNAMの人々が行きましたが、倉数さんとかフランス思想研究者など岡崎さんに近いRAMの人々は、「L」に意味を見出しませんでしたので、岡崎さんに会いに行きました。私自身はといえば、重い精神病で寝込んでいましたので、そのいずれにも参加できませんでした。2ちゃんねるのNAMのスレッドを読みますと、私のことが「哀れな精神障害者」なのだとか非常に残酷に中傷されていました。漠然と、この世の中というものは酷いのだと感じました。柳原さんにその2ちゃんねるを読んでもらいましたが、柳原さんは、こんなものを気にする必要はない、といってくれました。なるほど2ちゃんねるの誹謗中傷を一々真に受けていては身が持たないでしょう。そういうことは現在の37歳の私であれば承知していますが、十年前はまだ若かったのです。

市民通貨L」を丁寧に考えますが、事実関係を推測すればこうだと思います。恐らく技術的な基本設計は息子さん、『資本論』による根拠づけは柄谷さんが考えたのでしょう。

昨日「L」はポイントカードだといいましたが、もう少し丁寧にいえばこうです。例えば、NAMの会費の10000円をNAMに振り込むとします。そうしますと、一定額、例えば3000Lがペイバックされます。簡単にいえばそれだけの話です。

柄谷さんの息子さんはそれなりに丁寧にQを吟味したのでしょう。彼が考えた「L」はいろいろな意味でQとは正反対になっていました。Qには団体会員も入りますが、個人会員が基本です。他方、「L」は商店が中心です。Qはインターネットで決済しますが、「L」はカード読み取り機でカードを読み取らせて決済します。ただ、このカードを作るのが実際には困難でした。

「L」に関わる具体的なことをもう少し考えますが、その前に柄谷さんが『資本論』を読んで考えたことを整理しましょう。その根拠は当時彼が書いて配布した『Lの理論』です。私は現在『Lの理論』を持っていませんが、内容は暗記しています。

具体的に『資本論』のどこにそういう議論があるのかまで知りませんが(調べればすぐに分かるでしょうが)、柄谷さんは、貨幣が流通する根拠は最終的に「金(ゴールド)」にあると考えました。ですから、彼は自分の「市民通貨」を「L」と呼ぶ前は「G」といっていたのですが、それがGoldのことであると推測しても不合理ではないでしょう。他方、「L」が何の略なのかということはよく分かりません。

後年、私は、西部さんに『Lの理論』を見せて、経済学の専門家である彼の考えを聞きました。彼の意見は、ポストモダンを批判するのはいいが、貨幣の流通根拠が「金(ゴールド)」だと考えてしまうのは、余りにも硬直したがちがちのモダニズムではないかというようなことでしたが、私自身は別に経済学の専門家などではありませんが、西部さんの判断が妥当だと思います。

例えば、よく知りませんが、岩井克人は、貨幣は流通しているから流通する、貨幣である、と考えたそうです。岩井さんはそういうことを現に流通している貨幣についていいましたが、西部さんはまだ流通していない貨幣、地域貨幣について同様に考えてしまった、それが「愚か」だというのが柄谷さんの意見です。けれどもそういうことが本当にいえるのかどうかはよく分かりません。ただ、岩井さん、西部さんは経済学者ですが、柄谷さんはそうではなく、『資本論』を自分勝手に読んでいるだけの素人だというのは事実でしょう。

その柄谷さんにしても、自分の「L」が直ちに金(ゴールド)とリンクするというような不可能なことを考えたわけではありません。彼は、まず、「L」は円とリンクする、そうしますと、L→円→ドル→金(ゴールド)というふうに最終的に根拠づけられていく、と考えました。けれども現実にそういうことになるのかは甚だ疑問です。「L」は円にペイバックされるだけなのですから、やはりポイントカードと同じなのではないでしょうか。幾ら『資本論』を持ち出そうと、しょせんポイントカードはポイントカードでしかないのではないでしょうか。

公平にいって、当時存在した議論のなかでは2ちゃんねるの議論が一番まともだったと思います。どういうことかと申しますと、NAMの人々の多くはただ単に「L」を信じただけでしたし、他方、Qの人々には情報がなかったので、柄谷さんが考案した新しい地域通貨がWAT(森野栄一さんという経済学者が発明したものです)であると誤解してしまったのです。事実は違いました。

その2ちゃんねるの議論を記憶の範囲で要約するとこういうことです。Qには、万が一拡大したならば可能性があるが、「L」にはない、ということになります。どういうことかと申しますと、「L」はどこまでも円に寄生してくっついていくだけですから、そういうものが幾ら拡大しようと、資本主義への対抗運動などには全くならない、と2ちゃんねらーが考えたということです。それはその通りだと思います。

しかし、柄谷さんはそのような「L」こそがNAMがいっていたような「対抗ガン」だと看做しました。けれども、「対抗ガン」とかいっても、ただの比喩です。

理論の話はこれくらいにして、「L」の具体案を検討します。柄谷さんの息子さん(そして柄谷さん自身)の考えはこうでした。大手スーパーなどでは、ポイントカードが普及しています。中小商店もそういうことをやりたいのだとしても、お金が掛かるとか、技術的に難しいというような理由でできません。そこをクリアできたならば、中小商店の間で「L」を使ってもらえるのではないだろうか。こういうことが彼らの構想でした。

はっきりといえば、中小商店でも導入できるような安価なカード読み取り機が発明できるかどうか、ということが決定的な問題になります。結論から申し上げれば、それはできませんでした。

例えば、西原さんのような人々は、「L」はQを潰すためにでっち上げられたものなのだと公言していました。それでいい、それが正しい、正義なのだというのが彼女の意見ですから、ふざけた話です。現実には、NAMの人々を騙し、欺いたというだけの話です。

それでも柄谷さん自身は、多少は本気だったのでしょう。NAMが解散してからも、近畿大学の研究所でずっと研究していました。息子がやめてしまってからも研究を続けていました。彼は、近畿大学の同僚であるすが秀実さんに、まず近畿大学の前の商店街に「L」を導入したいと語っていたそうですが、現実にはそういうことはできませんでした。

別に私は、最終的に挫折したから馬鹿にしているというわけでもありません。あれこれアイディアなり思い付きがあったとしても、どうしても実現できない、というのはよくあることです。「L」もそうだったというだけです。そういう理由で柄谷さんは悪であるとはいえません。