Vladimir Horowitz "Horowitz Plays Schumann" (RCA)

Vladimir Horowitz "Horowitz Plays Schumann" (RCA)

Robert Schumann (1810-56)

Concerto Without Orchestra (Grand Sonata No.3 in F Minor, Op.14)
(1) Allegro brillante
(2) Scherzo: Molto commmodo
(3) Quasi variazioni: Andantino de Clara Wieck
(4) Prestissimo possibile

Humoresek B-Flat, Op.20
(5) Einfach
(6) Sehr rasch und leicht
(7) Noch rascher
(8) Hastig
(9) Nach und nach immer lebhafter und starker
(10) Einfach und zart
(11) Intermezzo
(12) Innig
(13) Sehr lebhaft
(14) Mit einigem Pomp
(15) Zum Beschluss

Fantasiestucke, Op.111
(16) Molto vivace ed appassionatamente
(17) Piu tosto lento
(18) Con forza, assai marcato

Nachtstucke, Op.23
(19) No.3 in D-Flat
(20) No.4 in F

Vladimir Horowitz, pianist

Total Playing Time - 71:55
Produced by John Pfeiffer
Recording Engineer: Edwin Begley
Recorded live in February and May 1976 (1)-(4) / April 1979 (5)-(15) / April and May 1980 (16)-(20)
Reissue edition digitally remastered by Nathaniel S. Johnson, Supervisor; Jame Nichols, Engineer
Art Director: J.J.Stelmach
Photo: Christian Steiner, 1989

Grand Sonata 3

Grand Sonata 3

私は観たことがなく、母親から話を聞かされただけですが、ロベルト・シューマンの伝記映画がその昔あったそうです。母親の話を聞く限りでは、事実(史実)に忠実とは思えないような映画ですが、その映画のラストシーンがシューマンの発狂だということです。シューマンが自分の作曲した音楽をオーケストラで演奏します(シューマンは指揮をしています)。ところが、その音楽の最高音の弦楽の響きがどうも変です。何回やり直してもおかしいです。そしてその音を聴くうちにシューマンは気が狂ってしまい、川に飛び込んで死んでしまいます。

その映画のことはともかく、シューマンについては様々な研究があります。私も全てを読んだわけではありませんが、病跡学的な研究もあります。音楽的な研究や考察もあります。身近なところでいえば、高橋悠治が『ロベルト・シューマン』を書いています。シューマンの発狂というのは様々な要因を考慮しなければなりませんが、奥さんになったピアニストのクララ・シューマンとの関係なども重要です。

シューマンは、ショパンやリストのように自分もピアニストとしてやっていきたい希望がありました。ピアノを弾いたことがある人なら誰でも分かると思いますが、通常、人間は、ピアノを弾こうとしますと、どうしても薬指と小指が弱いです。シューマンは特殊な機械を作って、薬指と小指を強化しようとしました。ところが、そのことによって逆に指を傷めてしまい、ピアニストとして活躍したいという夢を断念せざるを得ませんでした。このことも重要なエピソードです。

シューマン自身の音楽論は『音楽と音楽家』として岩波文庫に入っています。岩波文庫にはもう一冊、ドビュッシーの音楽論も入っていました。

岩波文庫には『モーツァルトの手紙』も入っていますが、私は面白いと思いません。モーツァルトに関しては映画『アマデウス』がありますが、史実に忠実だと考えるべきではないと思います。映画ではサリエリという人が嫉妬したという話になっていますが、そんなことはなかったでしょうし、フリーメーソン組織との関わりも重視すべきではないと思います。モーツァルトは事実若死にしていますから、そのことは検討する必要があるでしょうが。作曲家といえば、バッハ、ハイドンは非常に健康的ですね。(私は観ていませんが、ストローブ=ユイレにバッハの奥さんをテーマにした映画があったはずです。)ベートーヴェンは晩年耳が聴こえなくなってしまいます。シューベルトは梅毒で若死にします。ショパンも何かの病気でした。

シューマンに戻れば、有名な「葬送行進曲つき」のピアノ・ソナタの第2番をショパンが書いたとき、楽壇では賛否両論で論争になりましたが、シューマンは批評家としてショパンを擁護する論陣を張ったはずです。ショパンの2番は構成が破格であるということで議論になったのです。確かにソナタ形式ではありますが、特に第四楽章など、ほとんど無調に近付いていますから、なるほど過激だったのだとは思います。でもそういうならば、例えばリストのピアノ・ソナタなど4楽章(或いは3楽章)という形式そのものを廃棄、無視してしまっていますが。

そういえばガタリは自分もピアノを演奏し、勿論アマチュアではあるのですが、相当上手かったそうです。ロマン派、特にシューマンが好きでした。『千のプラトー』の「リトルネロ」というような考えはガタリが持ち込んだものです。ドゥルーズは自分は『千のプラトー』でロマン派を考えたといいますが、ロマン派についての認識はかなり多くの部分がガタリから来ているのではないかと私個人は思います。『千のプラトー』のロマン派論、音楽論というのは、近代における芸術家とは「宇宙的な職人」なのだというようなものですが。

シューマンでもショパンでもそうですが、ロマン派の作曲家の場合特にピアノ曲において、ソナタ形式でなければならない必然性というものがそもそも余りありません。だから、一応ソナタと名乗ってはいても、4つの楽章がばらばらだったりします。シューベルトは20曲以上ピアノ・ソナタを書きましたが、シューマンショパン、リストにはソナタは少ないです。そして小曲が多いです。シューマンなら「フモレスケ」「幻想小曲集」「夜曲」「子供の情景」「クライスレリアーナ」とかですし、ショパンなら「ワルツ」「マズルカ」「ノクターン」「練習曲」「前奏曲」とかです。「バラード」「ポロネーズ」は少し大きな形式です。

千のプラトー』の議論が厳密にどうであったか忘れましたが、「宇宙的な職人」というのは、前期ロマン派よりも、後期ロマン派に特に該当すると思います。歌劇ならぬ「楽劇」を発明したワーグナーがそうですが、マーラーブルックナーのような壮大な管弦楽もそういえるでしょう。リストの場合はちょっと微妙だと思います。リストの「交響詩」には先駆的なものがあると思いますが、彼の晩年のピアノ曲高橋悠治が指摘するように少し奇妙です。宗教的ですし、静謐で、現代音楽というか、調性がないような音楽に近付いています。ですから、前世紀の終わりに、ポリーニブレンデルがリストの晩年のピアノ音楽に注目して録音しましたから、リストのイメージは一変しました。それまでは、リストといえば、ロ短調のピアノ・ソナタは勿論有名ではあったのですが、「愛の夢」のようなちょっと可愛らしい曲を作った人と思われており、晩年の作品は余り知られていなかったのです。