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さて、唯物論のことを少し考えてみましょう。サルトルのような人が感じた困惑は、『唯物論と革命』で表現されています。つまり彼は政治的にマルクス主義フランス共産党に接近しましたが、哲学者として誠実であったので、哲学思想としての唯物論が自分に受け入れられないということを言わないわけにはいかなかったということです。彼は、唯物論、物質に関する哲学的な体系なり教説を信じることと、革命の是非といった政治的な問題は別なのではないかと考えました。私はその点でサルトルは正しかったと思います。

そもそも唯物論は困難です。戦前に戸坂潤は「唯物論研究会」を作りましたが、その戸坂潤の唯物論は、彼の初期の仕事である「空間論」からきています。戸坂潤の「空間論」というのは、空間の概念を哲学的、自然科学的に正確に規定してみようと試みたというものです。彼はそのような考えから発展して後にマルクス主義者、正確にいえばマルクスレーニン主義者(彼は「哲学のレーニン的段階」といっています)になりました。けれどもその彼を、福本和夫は「観念論的偏向」と看做しました。それはどうしてでしょうか。

福本和夫自身は、若い頃にルカーチの『歴史と階級意識』から影響されたことがあるのだとしても、哲学者ではなかったし、自分を哲学者だとも考えませんでした。だから、そもそも空間とは何か、とか、物質とは何か、というようなところまで遡って考えなければならない必然性や必要性を特に感じませんでした。彼は単にマルクス主義者だっただけなのです。だから、そもそも空間概念の厳密な規定というようなところから考えた戸坂潤は観念論だと考えたのです。

戸坂潤が後年、哲学のレーニン的段階と考えたのは反映論のことですが、レーニンの哲学研究に本格的なものがあったのだとしても、『唯物論と経験批判論』の妥当性は疑問です。私個人はマッハの現象主義には或る程度正当性があると思います。経験論として、例えばヒュームに従って考えれば、「現象主義」になるほかないと思います。それは「経験批判論」とか揶揄されるべきものではないと思います。そのようにいうならば、そもそもヒューム自身が「経験批判論」になってしまいます。20世紀にヒュームは自然主義者であるという解釈が普通になりますが、それまで伝統的にヒュームは懐疑論者だと考えられていましたし、カントもそのように考えたのです。ドゥルーズはその最初の主著であるヒューム論(『経験論と主体性(ヒューム或いは人間的自然)』)においてさえ、ヒュームよりもカントに優位があると考えていました。けれども本当にそうなのでしょうか。「物自体」を考えることは妥当なのでしょうか。私は疑わしいと思います。

戸坂潤全集〈第1巻〉 (1966年)

戸坂潤全集〈第1巻〉 (1966年)

唯物論と経験批判論 1 (国民文庫 116a)

唯物論と経験批判論 1 (国民文庫 116a)

唯物論と経験批判論 (2) (国民文庫 (116b))

唯物論と経験批判論 (2) (国民文庫 (116b))