いーぐる掲示板への投稿

どうもありがとうございます。ただ、重箱の隅をつつくような小難しくて堅苦しい話(それも、実はたいして内容や意味がないような)ばかりでは、読む人が退屈だと思います。そのことは反省しています。

私はいーぐるに行ったことが一回だけあります。そのような、具体的にジャズに関わることを少し書きます。

それは「ピアニストとしてのナット・キング・コール」特集でした。私は彼のピアノが好きなので、その特集に足を運びました。その講演は素晴らしいものでしたが、とりわけ、彼がピアノを担当した『レスター・ヤング・トリオ』というのが非常に良くて、帰宅してすぐに買い求めました。レスター・ヤングのボックスセットなども幾つかその後買いましたから、この音源は重複して4種類くらい持っています。レスター・ヤングにせよ、ナット・キング・コールにせよ、彼らのベストパフォーマンスなのではないか、と思います。

講演の後の質疑応答で、後藤さんが、ピアニストとしての最終的な到達点というか達成ということでいえば、オスカー・ピーターソンのほうが上ではないか、というようなことを発言され、発表をされた方が困惑されていた、ということがありましたが、それは私もそう思います。

少し余計なことをいうと、岡崎さんはジャズが好きなのですが、しかし彼はオスカー・ピーターソンを全否定してしまうのです。個人的な趣味嗜好は自由ですが、ただそれでも、もし客観的なジャズの歴史とか、ジャズピアノの歴史を考えるならば、オスカー・ピーターソンの重要性を認めないわけにはいかないのではないか、と思います。

岡崎さんという人は非常に趣味人で、スティーヴ・レイシーの大ファンでライヴにもよく行っていました。スティーヴ・レイシーが死んだとき、エッセイを書いてくれ、といわれました。もちろん、原稿料が出るような話ではなかったし、当時私は名前を隠さなければなりませんでした。どういうことかといいますと、岡崎さんは柄谷さんと友人であり続けたかったので、柄谷さんを批判していた私の名前が彼のサイトに出るのはまずい、と思ったということです。そのように依頼されたので、入手できる限りのレイシーのCDを買い求めて検討し、エッセイを書きましたが、非常にお金が掛かって困りました。それに、苦労してエッセイ、論考を書いたけれども、岡崎さんや周りの人(建築家の中谷礼仁さんなど)からは全く評価されませんでした。

つまらない想い出話でした。