私の意見、続き

それにしても何故、フーコーにせよドゥルーズにせよ、ストア派を愛読していたのでしょうか。倫理学を専門にしていたわけではないので認識が間違っているかもしれませんが、倫理思想といえるような倫理思想は、実は稀少だからだと思います。プラトンアリストテレスに倫理思想がないわけではありません。プラトンには「正義とは何か」を主題にした対話篇があり(題名は忘れましたが、『ラケス』だったでしょうか?)、アリストテレスには「中庸」を説いた『ニコマテス倫理学』があります。しかし、彼らの主要な関心が存在論であり、イデアなり実体の理論であったというのは確かでしょう。他方、ヘレニズム哲学(エピクロスとストア)について、コジェーヴは、彼の大部の古代哲学史講義(邦訳はありません)で、哲学的には堕落である、と評価しています。ヘーゲル自身の哲学史も同じだったと思います。勿論、厳密に論理的な存在論から個人の生と死というようなことに関心が移った、という違いは厳然とあります。しかし、私はそれを堕落であるとか悪いことだとは思いません。