哲学者の逸話:ベルクソンの晩年、フッサールの幼年期

市川浩ベルクソン』(講談社学術文庫)、p.104

それかあらぬか、1940年の暮、ベルクソンは「私はあまりにも長く生きすぎた」とフロリス・ドラットルにもらしたという。パリの冬は凍りつくように寒く、石炭不足のため暖房は消えたままだった。リューマチによる強直をやわらげるため医師に命じられた運動を廊下でしていたベルクソンは、風邪をひいて肺充血にかかり、3日のわずらいののち1941年1月4日に息を引きとった。

田島節夫『フッサール』(講談社学術文庫)、p.39-40

幼い頃からのフッサールの人となりを示すつぎのような逸話がある。ある日、彼はナイフを土産にもらったことがあるが、切れ味があまりよくなかったので、一生懸命にこれを研ぎにかかった。ところがナイフを鋭くすることばかりに気をとられていた少年フッサールは、刃金の部分がだんだん小さくなり、ついに無くなってしまったことに気がつかなかった、というのである。この話は、フランスで現象学研究の先達として知られたエマニュエル・レヴィナスが、晩年の本人の口から聴いたものであるが、フッサールはこの幼時の思い出に象徴的意味を託していたようで、その話をするときは沈痛な調子であった、という。