言葉は無限に溢れ出て〜二和向台のオカマ

14歳の頃から22年間、この二和向台という土地に住んでいる。私は二和向台の住人だ。二和向台のオカマ(Queer in Futawa-mukodai)。それ以上でもそれ以下でもない。自分がオカマだということを、地域の人が受け入れてくれるのかどうかは分からない。家族も。だが、自分にはこの二和向台の土地以外、何処にも行くところはない。二和向台に骨を埋める覚悟である。
現実 realには、自分はローカリズム(地域主義)である。船橋二和向台に愛着を持っており、そこから外へ出るつもりがない。特に東京に行くつもりがない。だがインターネットは最大限活用している。自分の友達の99%はインターネットで知り合った、「ネット縁」の友達である。
勿論ネット縁は儚い。すぐに途絶えたり切れたりする。が、「来る者は拒まず、去る者は追わず」の精神で進むことが肝要である。出会いもあれば別れもある。捨てる神あれば拾う神あり。それを私は、Ustream放送を継続するうちに実感している。古いリスナーで去っていく人もいれば、新たに聴き始める人もいる。(無償だが)彼らは客であり、消費者であり、顧客であるので、私の放送を視聴するように強制することはできない。私の放送が面白い、楽しいと思えば聴き、つまらない、退屈だと思えば聴くのをやめる。ただそれだけのことだろう。
話は変わるが、私は醜いと言われ続けてきた。自分でも、自分が「美しい」とは思わない。だから同性であろうと異性であろうと、恋人を作ることはできないと思っていた。しかし不思議なことに、良い出会いがあり、2011年10月8日(土)から、一歳年下の埼玉県在住の彼氏と付き合い始めた。早いものでもう、2ヶ月になる。同性の恋人ができたのは生まれて初めてで、恋愛自体、18年ぶりである。
恋愛や性は楽しいが、しかし、私自身の人間性は変わらなかった(当たり前!)。相変わらずnegative極まりない「困ったちゃん」であり続けている。それは終生、変わらないのだろう。私は、「そういう人」なのである。病気とか障害ではない。私は、苦しんで生き、そして死ぬのがさだめなのだ。そう思って諦めている。私が慢性的な抑鬱不安や心身の不調・苦痛から解放される日は来ないと思う。それこそ死ぬまで。それまでは、二和向台の不思議ちゃん(?)として生きるよりほかないだろう。つまらない人生だ、とは思うが。