言葉は無限に溢れ出て〜社会嫌悪

私は9.11をきっかけに抑鬱不安状態になり近所の精神科(高根台メンタルクリニック)に通院を始めたが、当初の診断は人格障害ではなく、「社会不安障害(SAD)」だった。昔でいうところの不安神経症である。
その後診断は「回避性人格障害(不安人格障害)(APD)」に変わった(佐々木病院で)。
ちょっと違うなと感じるのは、自分の場合、社会に「不安」を感じているのではなく、より積極的に嫌悪を感じ、拒否している、抵抗感を感じている、ということ。社会を敵視していると言っても良い。この場合の社会というのは、いわゆる主流派の社会を指す。だから会社に就職しなかったし、これからもする気がない。もっともその気があっても、この年齢では(また無技能では)雇われないだろうが。
様々な意味での社会参加(就労や社会運動)を拒むということも、APDの症状というかありようの一環だと捉えれば、話の筋は通るが。また、internetも「社会」ではないか、SNSも「社会」ではないかとも反論されそうだが、私は仮想空間には違和感は全くないのだ。
逆に、それまでネットだけの知り合いだった人と会ってみると、実物にはがっかりした、と言われることが多い。ネットでは饒舌だが、実物は吃りで寡黙であり、そして笑わない。対人的魅力には乏しいだろう。服装、外見etc.にも全く無頓着。会話のキャッチボールもできない(下手くそ)。こういうふうに見てみると、realの私は相当に駄目な人で、realの友達が一人もいないというのも全く当然だと思える。性格も悪いし(笑)。
そういう私は、多分ずーっと(それこそ死ぬまで)「このまま」=治療不可能だろうなあ、と思う。