tweets about death

  • 生きる意欲がないのになぜ生きてるのだろう、と自嘲しながら図書館で、与謝野晶子の全集を借りた。1-10と借りるつもりだったが1が見当たらず捜索中とのことで、2-10と借りてきた。万学を究めるなどできない、僅か短歌一首の意味を知るのに一生掛かる場合もあるだろう、と考えた。
  • 全集では「与謝野晶子」は「與謝野晶子」と表記されてるのだが、手書くで申請を書くのに、「與」という字がうまく書けずに悩んだ。
  • なんで死ぬ、死にたい…が悪と看做されるのかまるでわからぬ。生きねばならぬ(生きる義務がある)という発想は自分にはまるでない。特に生きたい希望もない。
  • 江藤淳が自殺したとき、心理学者が非難して、脳梗塞の後遺症のリハビリに頑張っている人達に対して失礼だと言ったのだが、僕は疑問に思った。どのくらいの負担に耐えられるかは人それぞれなのにそんな一般論を言っても…。
  • 僕が金ならないが働く気もなく、野宿者になるのもいやだから死ぬ、と言ったら(そして死んだら)、野宿生活を頑張っている仲間に失礼じゃないか、とか叱責されるんだろうか。でもさっき言った通り、どのくらいの負担(苦痛)に我慢できるかは人それぞれだと思う。
  • 倫理学者であろうと心理学者であろうと、道徳的な非難や叱責は御免蒙りたい。
  • 「命を粗末にするな」「親に申し訳ない」などとよく叱られるのだが、じゃあ、親のため(だけ)に生きねばならないのか。
  • 「生きたいのに生きられない人も沢山いる」とも言われるが、それはそれ、これはこれでしょ。
  • 去る者は追わず→敵もさる者→猿蟹合戦。
  • さる冴えない批評家先生がネット(Twitter)依存の人を「蛙」と罵倒しているが、僕が蛙なら彼は猿に似ている(容姿・外見も)。
  • 親は暢気だが家計のことをどう考えてるのか。僕がなんとかするだろうと思ってるのか。残念、僕は何もしないよ。
  • 僕が死ぬと言っても医者を含め誰も本当に死ぬ・死ねるとは思ってないというのはミエミエなのだが、それでも僕はいつかは死ぬと思う。それがいつかは分からないが。将来に希望や期待が持てない。今も苦しいのにもっと苦しむならもう堪えられない。
  • 何もしたくない(働きたくない)と思い実際何もしていないのは、幸福というべきではないのか。
  • 一家心中というアイデアを出したが親は賛成でないようだ。でも金なくなったらどうするつもりなのだろう。まるでわからない。