noizさんのブログにコメント(附・川柳三句)

http://mukofungoj.sanpal.co.jp/bando/4681/comment-page-1/#comment-580
noizさんがハード・バップとは驚き! 「一時期のマイルス・デイヴィスとかクリフォード・ブラウン×マックス・ローチあたり」…僕も大好きです! マリオン・ブラウン、ジョン・リー・フッカー、ハウンドドッグ・テイラーは知りません。19日(土)あいてるのでもしかしたらライブ行けるかも…あっでもカネが…(笑)。

僕は自分が演奏すると「正真正銘の出鱈目」なfree improvisationなんですが、聴くのはfree, noise系よりも調性なり構造があるほうが好きですね。それと自分は新譜をよく買います。現在の日本のジャズ・ピアノを知りたいんです。例えば最近西山瞳とか聴きましたが、彼女なんて、パウエル、モンクetc.とは懸け離れた音楽世界で、それはそれで参考になり勉強になるし、聴いて楽しいです。今は片倉真由子という人を聴いてます。新譜は高いし当たり外れもあるんだけれども…。

川柳をちょこっと。

Aセクと云へばtop.にnoizさん
パンクスがハード・バップも意外かな
アナキスト「美的アナキズム」どう思ふ?

ちょっと解説。「美的アナキズム」ってのは倉数茂さんの新著『私自身であろうとする衝動』(以文社)のメインテーマです。「私自身であろうとする衝動」という言葉自身は有島武郎の『惜みなく愛は奪う』(新潮文庫他)から採ったものだそうです。
彼によれば、美的アナキズムとは、一切がこの私に発しこの私から流出すると看做すような思想とのことです。この本自体は大正から昭和初期(大戦前夜)くらいまでが守備範囲なのですが、「現在」の状況にも一言していて、彼によれば現代の我々はなんの支えも失って「ただ生きているだけ」の状況に放り出されている。その裸の生存に意味を与え、生を生きるに値するものとして芸術運動なりコミュニティ運動、彼のいうところの「美的アナキズム」の運動が必要なのだということのようです。
倉数さんは極論を言ったりわけのわからぬ論理の飛躍をする人ではなく、或る意味とても常識的な人です。だからちょこっと小さな幸せを見つけて「この私」の卑小な生存を肯定する、なんてちょっと主張としてはこじんまりしすぎてるんじゃないかというか、もうちょっと冒険的にものを言ってもいいのになあ、とも感じますが、まあこのくらいが穏当なのでしょう。でもそれだったら、「アナキズム」とか言わなくてもいいんじゃないかな、とも思ったり。
noizさんはどう思います?