臍曲がりの讀書

自分は臍曲がりだから、世間が低く評価する哲学者達のほうを好んで讀む。例へばショーペンハウアーフォイエルバッハである。ショーペンハウアーよりもヘーゲルのほうが、フォイエルバッハよりもマルクスのほうが高く評価され、廣く讀まれてゐる。だが自分には、正直云つて、ヘーゲル弁証法論理や独逸観念論(フィヒテシェリングヘーゲル)がよく分からぬ。だからより通俗的で平明な著者を好む。
戦前の旧制高校では「デカンショ」と云つて、デカルト、カント、ショーペンハウアーと並べられたが、現在、ショーペンハウアーデカルトやカントと同列と看做す人は皆無だろう。三人擧げるとしたら、デカルト、カント、ヘーゲルというのが現在の「常識」であろう。だがそのような、哲學史的な「常識」が私は厭なのだ。私は自分が好きな本を、好きなやうに讀みたい、只それだけだ。そのような讀み方は専門家というよりは素人のものであろう。然しそれで結構である。