絲山秋子『妻の超然』(新潮社)読了→『現代短歌体系 1(斎藤茂吉、釈迢空、會津八一)』(三一書房)借りる。

絲山秋子『妻の超然』(新潮社)を読み終わる。これは「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」という3つの短編小説から成っている本である。読み終えて、良い小説なのだろうし、うまいのだろうなとは思ったが、なんの感興も覚えなかった。それはどうしてだろうと自省してみると、自分には他人(の人生)への興味関心が一切無い、ということだと思えた。そうであれば、基本的に「他人の人生の物語」である小説を読むことも書くこともまるで無理なのは当然だろう。
一つ、「下戸の超然」の主人公が一人称を「自分」というのは元ヤンキーだったから、というくだりがちょっと心に引っ掛かった。私が「自分」と言うのは、gayだからだけではなく、大江健三郎の『懐かしい年への手紙』の「ギー兄さん」の語り口調から影響されているからだ。そのことを思い出した。
今日は金曜日なので図書館が19時まで開いているなと思い、『妻の超然』を返却し、『現代短歌体系 1(斎藤茂吉釈迢空會津八一)』(三一書房)を借りてきた。ガタリネグリに影響されているという著者の『プレカリアートの詩』の予約は取り消した。私は、哲学思想とか現代思想といったものを嫌悪するようになっていたのである。最近は図書館に行っても和歌の棚しか見ない。和歌の棚を見て、さて何を借りようかな、と思い、少し迷ってこれにした。特に意味はない。和歌(短歌)を読むのは好きだが、自分で作ろう、詠もうとは余り思わぬ。下手の横好きを自覚しているからである。

妻の超然

妻の超然

懐かしい年への手紙 (講談社文芸文庫)

懐かしい年への手紙 (講談社文芸文庫)

プレカリアートの詩---記号資本主義の精神病理学

プレカリアートの詩---記号資本主義の精神病理学

『現代短歌体系 1(斎藤茂吉釈迢空會津八一)』(三一書房)は「はまぞう」システムで検索されないが、現在入手不可能なのかもしれない。