日記

2ちゃんねる共産党板がサーバが落ちており、当然、私のスレッドも見られない。それはいいとして、スガダイロー『八番勝負』を聴いている。
私の憂鬱、それはどうでもいいことかもしれない。私以外の人には。だからウザいとか迷惑、という捉え方もできるのだろう。それに幾ら「死にたい」と言ったところで、私は死なない。自殺できない。そういうことも分かりきっているのであり、だから私の営みは不毛である。死ねないのが分かっているのに死にたいと語る、無意味なことだ。
何故そのような無意味な営みを繰り返さずにはいられないのかは、考察に値するだろうが、多分、強迫性気質などと説明されるものだろう。洗浄強迫と同じように、私は強迫的にmixi希死念慮を書き付ける。多分、そういうことなのだろう。だが、何も起きない。当たり前だ。書くのは「儀式」なのだから。演奏することも多分そうだ。
しかしそれにしても憂鬱である。