日記

明日は精神病院への通院日であるが、通院の動機づけが著しく低下している。何故病院に行くのか? 行かねばならぬのか? 自分はその必然性、必要性を感じない。唯一あるとすれば精神科の薬剤の中毒になっているということだが、薬も徐々に減らしていっている。もう少し我慢すれば、精神病院に通う必要はなくなるのではないか。
そもそも私は、自分の認知や思考が病理的だとは少しも考えていない。私と同じような境遇になれば、誰でも憂鬱になり死にたくなるものではないかと思う。それを精神病とか人格障害と言うか? 私にはむしろ「生き方」の問題だと思うのだが。
私は、「自分で自分自身の可能性を諦めている」人であり、それ以上でもそれ以下でもない。そもそもクリエーター志望で36歳にもなって習作の一つもないというのは端的に終わっている。単なる駄目人間、ワナビーである。私はそういう自分自身のありようを徹底的に理解・認識している。自覚している。駄目だから駄目と認識する。そこに認知の歪みなどあるのか? 自分はあるとは思わない。単に正確で客観的な認識があるのみである。そう思うのである。