怨念

今日の『相棒』スペシャルは相当見応えがあった。昨日のスペシャルもそうだったが、法、人を裁くということの意味と重さなどを考えさせられた。これは単なるエンターテイメントや机上の空論ではなく、例えば『東電OL殺人事件』のゴビンダさんなど現実でも同様の事態が起き得ることだ。冤罪ということもそうだが、死刑判決ということも重要で、裁判員裁判になってから、死刑判決が増えたように感じるのは私だけだろうか。裁判、司法に素人(市民)の意見が入るということは、凶悪犯罪には厳罰を、という流れにならざるを得ないのではないだろうか。専門的にいえば司法は報復、復讐ではないとしても、素人の素朴な感情としては凶悪な犯罪は許せない、厳罰を、死刑を、と思う人、主張する人が多く出るのは当然ではないだろうか。だとすれば、裁判員制度というのはどうなのだろうか。
また、人間の「思い」、情念、怨念、恨みの凄まじさや、一つの事件が多くの人の人生を狂わせてしまうことなどを考えた。私も、私が原因で死んだ(かもしれない)人の関係者から殺したいほど恨まれているかもしれない。もしかしたら私も殺される「資格がある」のかもしれない。そうも思った。
私が想起したのは2003年の一つの死である。その死の真相は明らかにはされていない。しかし、当時の私の行動との因果関係がある可能性もあると思われる。私はその死に責任があるのだろうか。それは今も悩むところである。