イギリスの暴動に思う。その2

朝6時前に起きて、一階に降り、パソコンでメール等チェックしてから、Sonny Stitt With Jack McDuff, Stitt Meets Brother Jackを聴きながら夏目漱石の『三四郎』を読む。眠気が差してきて机に突っ伏して寝ていたら、老母が降りてきて、段ボールをゴミに出すというので、近くのゴミ捨て場まで重い段ボールを持って行く。
今帰宅して、The Sonny Stitt Quartet, Personal Appearanceを聴いている。Charlie Parkerも勿論良いが、Sonny StittLester Youngも聴きたくなる。昨日今日と、Stittを中心的に聴いている。The Oscar Peterson Trioとの共演が、初めて聴いたStittだったが、あれが一番良いような気がする。Dizzy Gillespieらと組んだ賑やかな作品群も良いが、Stittはやはりワンホーンが良いようにも思う。Personal Appearanceもワンホーンである。
ノルウェーの大量殺人(テロ)事件に続き今回のイギリスの暴動と、ヨーロッパの凋落を思わせる事態が続いているが、ともあれ注視が必要だと思う。ヨーロッパであれ日本であれ、極右的、排外主義的言説が勢いを増すだろうから、そのことに警戒すべきだとも思う。前も書いたがイギリス暴動は数年前のフランス暴動を想起させずにはいないわけだが、ヨーロッパの宿痾というか、構造的な問題だろうか。自分は詳しくないのでよく分からぬのだが。
自分もそうなのだが、穏健リベラル的な立場は面目を失っている。多様な価値観の共存などといっても、和解不可能な対立や敵対性があからさまになっているではないか?と言われれば返す言葉もない。だが、昨日も言ったが、自分はそれでも寛容や他者の尊重などの理念を維持していきたいと思っている。そういう微温的な立場に意味はないのかもしれないが、自分にはそうするよりほかないと思える。自分は左右いずれの意味でも過激にはなれぬ。