セヴン

『セヴン』という猟奇映画で怠惰(Sloth)がキリスト教のいう七つの大罪の一つであることを知った。The Sloth Club(ナマケモノ倶楽部)などにも所属しており、且つ、惰民党の名誉総裁である私であるが、大罪の報いとして惨殺されるのは御免蒙りたい。自分はのろまで、怠けており、だらしがないが、悪い奴ではない(と自分では思う)。略奪、放火、殺人などしない。ただだらだらしているだけである。
怠惰な人間、惰民は社会の屑(junk)である、という言説が広まっている。奴らはどうしようもないのだ、自らを助けようとしない人間はどうにもならない、という(まるでスマイルズの『自助論』のような)言説が瀰漫している。福祉政策しても駄目でしょ、扶助しても駄目でしょ、という理屈で、中産階級(市民)だの納税者だのの立場を押し出してくる。まあ確かに、真面目に働き、納税もしている市民=国民からすれば、納税もせず、それどころか税金で喰っており、なおかつ他人の家や店や車を燃やすような連中は許せないであろう。その感情は分かる。だが、性急に結論を出さないで欲しいのだ。
もし、「社会の屑」言説が支配的になるなら、社会はひび割れてしまい、取り繕うことは出来ないであろう。深刻な階級分裂をもうどうにもできなくなるであろう。日本も、他人事ではない。