早朝の日記

坂田明『ひまわり』を聴いている。いつものフリージャズな彼とは一味違う、これもまた素晴らしい演奏である。
私は朝9時になると、大和証券のサイトを開いて、株価チェックをする。それが日課である。株をやっているといっても、まるで儲かっていないのだが。サクラダという橋梁などを手掛ける会社の株を10000株持っているが、買ったのは32円くらいだったと思うが、今22円だ。かなり損している。いつか必ず上がるだろう、と信じているのだが、どうなることやら。
本当のことを言えば、我々の生活は、株をやるようなレヴェルではないのだが。日々日銭を稼がねばならず、株に投入している多大な労力(一日4回株の番組をテレビ東京で見、短波放送でラジオ日経をチェックし、大和証券のウェブサイトでずっと値動きを注視し、等々)を他のこと、例えば金になる労働、賃労働などに振り向けるべきなのだ。そう思うのだが、そうできないでいる。
親は私にものを書けと言う。今年中に何か纏めろと言う。私の書いたものなど(『惰民で悪いか?』を除いて)読んだことなどない癖に。本など読まないのに。息子だから、私に輝く才能があると信じる、それはありがたいが、私はそんな素晴らしい存在ではなく、無意味で無価値な屑のような存在である。駄目人間である。36歳にして何者でもなく、今後も何者かになれる見込みもない。もう終了した人間である。それをどうにもできぬ。悔しいが、何もできない。私は変われないし、変わりたくもない。私は、ずっと私自身でいたい。それが破滅的なことであろうとなかろうと、自分自身でありたいのだ。