『シェア』を読み始める。

最近はコンピューター、インターネット関係のものばかり読んでいるのですが、今日読み始めたレイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース『シェア 〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略』(小林弘人監訳・解説、関美和訳、NHK出版)も刺激的そうな議論です。昨日読んだ『ウェブ進化論』『ツイッターノミクス』も面白かったですが。

本の内容からは離れるかもしれませんが、私が感じたのは、例えば十年前であれば、インターネット/オフラインは対立的に捉えられることが多かったように思います。インターネットに溺れる「ネット・キッズ」か、さもなくば地域に根ざしたコンピューターなど触わらない人か、みたいな。それが近年は、フェイスブックに典型的に見られるように、両者を対立的にではなく補完的に捉える観点が主流になりつつあるように思います。「インターネットで交流する」か「直接会う」かの二者択一ではなく、「インターネットを介して会う」みたいな。私の友人から教えて貰ったのですが、フェイスブックの友人全員と会う世界ツアー、みたいなのが流行っているそうです。『シェア』冒頭で語られる空き部屋を他人に貸す、というのもその一環ですね。それは、「ネット縁」なりインターネット上の関係を、リアルのそれと同じくらい「信頼」できるものと看做す、ということです。そしてそれがいわば、親世代には理解されないが祖父母の世代だったら当たり前だったような文化の再興、ルネッサンスと捉えられているのも面白い。例えばジャック・ケルアックの『路上(オン・ザ・ロード)』を思い出してもいいのですが、かつてはものを共有、シェアするなんて当たり前だった。その文化が一旦死に、今蘇っているということです。

音楽と関係ない話をしているようですが、私は、ジャズを含め音楽の世界も大きく変容し得る可能性があると思うのです。昨日紹介した『ウェブ進化論』の結論は、「飯を食う」ことを前提にすれば、表現者は旧来のメディア環境に留まるほうが「経済合理的」と判断される、ということでしたが、では逆に、「飯を食う」という条件を外して考えるなら、私達はあり余る自由を手に入れるのではないでしょうか。

ちょっと問題提起的に書いてみました。