躁鬱

今度の東日本大震災のような大災害が起こると、精神病者の場合、躁に振れる人と鬱に振れる人がいるようだ。私はといえば、躁に振れたり、鬱に触れたり。だが、概ね欝である。図書館に行っても、本を借りる気力がない、mixiやブログを更新する気力がないなど、弱っている。
何だか自分が元気に生き残ったことが申し訳なく感じられもする。死にたい、死にたいと言っている自分が無意味に生き延びて、数万の人が亡くなったり行方不明…。気の毒だし、申し訳ないと感じる。被災者のために何もできないのも申し訳ないと感じる。世の中にはボランティアや義援金などできている人もいるのに、自分は何もできていない。そのことを済まないと思う。負債感情である。
今日、爽風会佐々木病院に通院して、新しい主治医のH先生の診察を受けたが、丁寧にこちらの話を聞いてくれる、良い先生だった。前任のT先生から次の先生は良い先生とうかがっていたが、その通りのようだ。
先生からは、テレビ、ラジオやインターネットなど、災害情報から離れて、リラックスできる時間を持つようにとアドバイスを受ける。音楽を聴くとか。そうしてみようと思う。精神病者に必要なのは、情報遮断だったりする。放射能で死ぬより先に、欝で死んでしまっては、どうにもならないわけだ。
相変わらず死ぬことばかりを考えているが、「CDを売却しなければ生活費が捻出できなくなったら」或いは「パソコン(インターネット)が使えなくなったら」死のうかと考えている。貧しく生きるのは厭である。我儘だが。我儘を通そうと思っている。