FREEexを考える。

実に魅力的だ。感想を述べたい。
メジャーなものほどタダになる構造、例えば、「金曜ロードショー」で見られるということについては、CM(広告)を考慮していないんじゃないかな、と思う。テレビもラジオも、NHKは受信料収入、民放は広告収入で成り立っている。視聴者である私達はお金を支払っていないようにみえるが、CMを視聴することで間接的に支払っている。この構造はインターネットでも同じで、何故Google、Yahoo、TwitterFaceBookYouTubeニコニコ動画Ustream等が無料なのかといえば、広告収入があるからだ。そうでなければ、資本制企業は成り立たない。
だから、真の無料=自由(FREE)の世界を目指すには、資本制企業、株式会社という構造にメスを入れなければならない。カネがなくてもコネで生きていける社会、無償贈与の循環で「安心・安全」が保障される社会、そのような社会に転換するには、利潤を上げ続け、そのことで存続している資本主義システムを問い直す必要がある。
実は、優秀な経済思想家ほど、資本主義の終焉、資本主義以後の社会を構想していた。経済学の創始者アダム・スミスだが、資本主義の終焉を初めて予測したのも、彼だと言われる。スミス以降も、利潤率が低下するから、定常状態に至るから、など様々な理由で、資本主義の終焉と資本主義「以後」の社会のありようが構想されてきた。
私達は資本主義の世の中にいるので、お金がなければ生きていけないと思っている。そしてそのことは、部分的には正しい。お金を一切、放棄してみるという生き方を「実験」するのは余りにリスキーだ(そのような「実験」をやってみた人もいるのだが)。お金や所有を一切、放棄して、それでも優雅に暮らせているというのは、僥倖だと思う。そうはいっても、お金や所有にしがみつかない生き方を目指したいものだ。
私も、FREEex的な生き方をやっているつもりだ。文章はhtmlで無償公開し、音楽はYouTubeUstreamで無償配信する。地域通貨も含めて一銭にもならない。が、それで良い、と思っている。少数ながら私の「ファン」がいる。それで十分、満足すべきだと思っている。