Free & Shareと図書館文化

イマニュエル・ウォーラーステインは、『脱商品化の時代』という本で、株式会社を中心とする資本主義経済が、徐々に、例えば大学や病院のような公共的な組織中心の経済に移行していくだろう、という意味のことを言いました。現在進行しているのはむしろ逆の過程で、すが秀実さんなどの『ネオリベ化する公共圏』にあるように、大学などの公共圏も資本主義化、私企業化されているということかもしれませんが、長期的にみれば、ウォーラーステインのいうような、公共圏中心の非営利的な経済というのもあり得るのかもしれないな、とも思うんです。

ネオリベ化する公共圏

ネオリベ化する公共圏

私の長年の夢は、社会全体が「公立図書館」のようなものになること、つまりFree & Shareが全面化するような社会になることなんです。私企業、株式会社中心の経済から、公共的、非営利的な組織中心の経済への転換ですね。まあ、これは夢でしかないのですが。

ところで、地方自治体によっては図書館がそもそもない市というのもあります。図書館があっても、本がどれくらいあるかとか、漫画も貸し出しているかどうか、視聴覚資料(CD、ビデオ、DVDなど)はどうかなどは地域によって異なります。

また、インターネット上には「青空文庫」というのがありますが、音楽や映画なども、著作権が切れたものや放棄したものについてはインターネットで共有できるようにしたほうがいいと思うんです。
自分がジャズの歴史を系統立てて勉強しようとして思い知ったのですが、CDを買うのに莫大なお金が掛かるのですね。それで、私は、結局2年ほども肉体労働をして返済することになりました。しかし、ジャズの歴史が無償で学べるなら、そんな苦労は必要なかったろうに、と思うんです。

と同時に、アーティスト、作家や音楽家の生活をどうするかという問題も考える必要があります。或いは、出版社やCDレーベルなどのことも考える必要があります。Twitterで、作家だという人が、自分の作品は図書館で借りないで買って欲しい、と訴えているのを読みました。また、Amazonが送料無料にしてから、本やCDなどを出版社から直接買う人が激減したそうです。読者が直接、買ってくれるほうが出版社などにとっては得ですから、これは望ましくない変化ということになります。まあ、バランスを取ることだと思いますが。みんながみんな、図書館でしか本を買わないなら、出版社は成り立たないでしょう。

話は飛びますが、恋愛とか結婚などの制度や概念の問い直しにも賛成です。多様な関係性、緩やかな繋がりも含めた様々なありようが可能なはずです。血縁という意味での家族とは異なる親密圏というものも、あり得るし、あっていい、と思います。

地域通貨「的」価値観、主観性というのは、Free & Shareに親和的だと思います。買う、消費する、私的所有する、から、利用する、共有(共同占有)する、借りるといったありようへの変化です。それが私の言う図書館文化ということですが。