何故、地域通貨なのか?

ご紹介いただいた本は、借りられているか、或いは図書館に所蔵していないようですね。借りられている本には予約を掛けることもできるし、所蔵していない本にはリクエストを出すこともできますが…。

辻さんからの、地域通貨の話が、内々の、オタク的なものになっていないかという指摘。重く受け止めます。私も、本格的に地域通貨をやろうというのは、2003年以来8年ぶりですし、この間ナマケモノ倶楽部に入られた皆さんは、もしかしたら地域通貨に馴染みがないかもしれないですよね。

改めて簡単にお話ししますと、NHKが『エンデの遺言』という番組を放映したことで、20世紀末から21世紀初頭に掛けて、日本全国で地域通貨への関心が高まったんですね。それこそ左翼から保守派まで、みんながこぞって地域通貨の話をした。他方、「子供銀行のお金で何ができるんだ」といった冷ややかな見方は当初からありました。

地域通貨、言い換えれば、中央銀行が発行するのとは違った民衆主体の通貨を創ろうという運動は、1930年代に、或いは、もっといえば、オーウェンプルードン(「交換銀行」を作ろうとした)などのいわゆる「ユートピア社会主義者」にまで遡ります。さらにいえば、国家なり中央銀行がお金の流れを中央集権的に管理するようになる前のお金というのは、もともと地域通貨的な性格を持っていたのかもしれませんね。現代においても、収容所においてとか、現金が通用しない状況で、例えば煙草が貨幣の役割を担うことがあります。

地域通貨ブームは、その後下火になりますが、その理由はいろいろあるでしょう。思ったほどうまくいかない、とか、面倒だ、とか。しかしどうして、私達が地域通貨に注目したのかといえば、それが一見自明にみえる「経済」というものを再考する機会になったからだと思います。

リーマン・ショックサブプライムローン問題など、資本制のグローバル経済には大きな問題があります。それをどうすればいいのか、確かな答えを持っている人は(経済学者を含めて)誰もいない。みんな災厄が起きてから、後付けで解説してみせるだけです。そこで、例えば利子の付かないお金ならどうか、資本に転化しないお金ならどうか、などの発想が出てくるわけです。

勿論現状の地域通貨には、グローバル経済をどうこうできるだけの力量はありません。そのことは率直に認めなければならない。けれど、問題はそのまま残っているんですよ。ファストなグローバル資本主義のままでいいのだ、とは言えない。地域通貨をやるかどうかは別にして、スローなローカル(地域)中心の政治・経済・文化を創っていく必要がある。そのやり方については、みんなで知恵を絞って考えていきましょうよ。