NAM原理は時代遅れか?

改めて考えてみたい。
NAMは非暴力をモットーとし、流通(消費)過程において資本主義(正確には資本制国民国家)への対抗運動を考えた。ボイコット(不買運動)、協同組合、地域通貨フェアトレードなどがその戦略としてあった。
NAMはわずか2-3年で崩壊してしまったので、大きくならなかった。だから、大きな社会勢力がそれらに取り組んでいたらどうなったかは分からない。が、実際のNAM組織の運動はしがないものであり、地域通貨LETS-Qを生み出しただけで力尽き、終わってしまった。
しかし、それは時代の必然だったといえる。NAMの創設者らにおいて一致していたのは、労働者が富裕化しているという認識だったが、今ではそれは通用しない。貧者の運動を新たに考える必要があるのだ。貧者といっても、第三世界に比べればまだ豊かだと反駁する人もいるだろう。確かにそうだ。そうはいっても、やはり生活は苦しいのであり、倫理的消費行動をしようとしてもできない場合が多い。その現実を直視したうえで、考え時だと思う。この行き詰まりをどうするのか、考えるべきだと思う。
継続は力なりと言う。NAMは再建されず、元会員は離散してしまったが、理念は生きている。少なくとも私はそう信じている。