私の妄想:LETS-j

偏執狂的に地域通貨に憑かれている変態の妄想として聞いてください。
仮に、ジャズ関係で流通する地域通貨jが出来、ジャズ喫茶、ライブハウス、ミュージシャン、ファン、批評家らがそのjを使い出すとします。で、jが名誉というか評価の基準になる。デビュー寸前みたいな若い子(以前明星一平さんが私のブログで紹介してくれたような若い子などの才能)が先ずjで評価され、そこから円での市場にデビューしていく…。
まあ揉め事が理由で実現はしなかったのですが、地域通貨Qで、中上健次賞という構想がありました。商業的な利害関係を顧慮せず、純粋に素晴らしい作品に賞を与える。地域通貨の賞金だからすぐには使い道がないので経済的には潤いませんが、最高の名誉になる。そのような構想でした。
同じことがjでできないか、と思うわけです。例えば、ゴールドディスクとかは商業的な思惑があるとも言われますよね。そういう思惑を一切排して、純粋に素晴らしい作品をミュージシャン、批評家、ファンの投票なり地域通貨投げ銭で決めていく。

NAMやQには、板橋文夫さんらと共演している、ジャズベーシストの立花泰彦さんも参加していました。だから、jという私の構想も、あながち全く夢物語というわけでもない、と思います。ただ、ジャズメンのなかで、立花さんは例外だったと思います。多くのジャズメンは、地域通貨だのjだのと聞いても、鼻で嗤うか、反感を露わにするのではないか、と予想します。円経済のなかで、喰うや喰わずやの厳しい暮らしをしているミュージシャンらから反発される可能性があると思います。
他方、遊戯やゲームの延長として楽しんで貰えれば、意味なり可能性はあるとも思う。だが、それも、遊びならもっと面白いものが他にあるよと言われればそれまでなわけで…。

地域通貨とは関係ないけれども、後藤さんらがやっているcom-postも商業的な思惑と離れた批評の場を作りたいという動機からやっているのでしょう? 案外、近いアイディアだと思うのですが。