地域通貨はどうして魅力的だったのか。そして現在?

NAMやNAMから派生したQプロジェクトが、2000年前後、一部の人間にとって何故、大きな魅力を持ったのか、解説していきたい。その鍵は、「左翼嫌いの左翼」というところにある。
左翼嫌いの左翼とは、要するにNAM会員のことだが、旧来のマルクスレーニン主義(正確にいえば、マルクスエンゲルスレーニンスターリン毛沢東主義)の前衛党主義、武装闘争路線、暴力革命、国有化、計画経済…といった路線に嫌悪を持つ左翼という意味である。勿論、マルクス研究も進んでいて、レーニンスターリン毛沢東はもとより、エンゲルスとも異なる思想を持った思想家としてマルクスが評価されてもいる。協同組合に微かな希望の光を見出した『資本論』第三巻のマルクスが、強調された。
だが、まだ何か足りなかった。オルタナティブ経済を構想するには、協同組合主義者になり、起業するだけでは十分ではないように思われた。というか、ごく少数の経営の才覚がある者を除いて、事業を興すなどということは無理のように思われた。
ところが、そうした困難に比較して、LETSは易しいようにみえた。
何しろ、地域通貨なり市民通貨を使って取引すればいいだけなのだから。交換するだけ、こんなに易しいことはない。そういうわけで、私を含め、NAM会員はQに飛びついたのである。

しかし、そこには罠なり欺瞞があった。
まず、暴力について。「左翼嫌いの左翼」は旧来の左翼や新左翼の暴力性を忌避したが、その場合の暴力とは物理的暴力(敵を殲滅するなど)であり、象徴的な暴力なり言葉の暴力という問題が残っていた。
Qにおいて、「例の三人」が起こした不正高額取引事件がそうだし、その後の私によるハッキング行為もそうである。それらは、物理的に、人を殴ったり殺したりするような暴力ではなかったが、「象徴的な暴力」だった。「相互信頼」によって成り立っていたQコミュニティの共同性を破壊する行為だった。私がQを攻撃した時、西部忠は、私が旧来の左翼の暴力主義に戻っていると批判したが、その批判はその意味で当たっていた。つまり、象徴的な暴力、言葉の暴力、ヴァーチャルな(インターネット上の)暴力をQ会員やQコミュニティに対して振るったのである。我々NAM会員の一部は。

そのことにより、「左翼嫌いの左翼」の非暴力主義の欺瞞が露わになった。

それだけではない。一連の騒動に嫌気がさして、多くのQ会員が退会したし、生まれかけのQ市場が破壊されてしまったため、商店や企業が全くQに入らなくなった。Qの「経済的信用」が下落した。地域通貨インフレとでもいうべき事態が起きたのであるが、柄谷行人が考えたのか息子が考えたのかは分からないが、この経済的混乱、インフレーションは意図的なものだったと思う。Q=象徴的なオモチャ、ママゴトという柄谷行人自身の規定=予言を自己成就するために、不正高額取引等の手段で、Qの「経済的信用」を毀損した。QコミュニティやQ会員同士の相互信頼を引き裂き、お互いに相手が何を考えているか分からぬ相互不信、疑惑の状態に追いやることで、そうしたのである。
Qは一種の社会実験という意味合いもあったが、その実験=経験は、私を含む一部のNAM会員による「象徴的な暴力の行使」によって、台無しにされてしまった。西部忠が私に対して怒り、まだ許していないと厳しく言うのも当然だろう。
あの一部NAM会員=共産主義者=左翼による暴力行使がなければ、Qは、今あるのとはかなり違った姿に成長していただろう。会員数も減らなかっただろうし、拡大すらしていたかもしれない。勿論、西部忠が考えたような、mixiFaceBookのような社会的プラットフォームにはなれなかっただろうが、或る程度の拡大は見込めただろう。Qの個人会員1000人というのは、決して夢想的な予測ではなかった。
歴史に「もし」はないとよく言われるが、もしQが成功していたなら、地域通貨自体の信用性も高まっていただろうし、個人会員だけでなく、商店や企業も多く参入するようになっていたかもしれない。
あの「京都会議」に柄谷行人が出席せず、西部忠が構想していたように、宮地剛を専従者としてQを企業化していたら、どうなっていただろうか。推測と想像でしかものを言えないが、Qはかなりいい線をいったのではないか、と思う。希望的観測と笑わば笑え。
ただ、仮にそうなったとしても、NAM会員が想像していたような「NAM的なものの拡大」にはならなかったと思うが。例えば、mixiFaceBookTwitterYoutubeUstreamニコニコ動画等が成功しているが、それらはいずれも、資本制企業であって、資本主義自体をどうこうしようという意図は持っていない。仮に「ネットバンク寄生論」を採用し、Qが企業化したとしても、資本制企業のone of themにしかならなかった可能性が高い。つまり、共産主義とかアソシエーショニズムなどとは無関係であった可能性が高い。しかし、地域通貨は単に、地域通貨として成功すればそれでいいではないか。そうとも考えられる。そのように考えるならば、「2002年から2003年にかけてのあの事件」はQにとって、また日本の地域通貨運動にとって致命的な打撃であったといえる。

NAMが解散して以降、格差の拡大と貧困の蔓延により、フリーター全般労働組合などのプレカリアート運動が隆盛した。そこでは、ベーシック・インカムが希望としてよく語られた。左翼で地域通貨を語る者は誰もいなくなり、現金での、国民通貨での給付であるベーシック・インカムを熱意をもって語る人だらけになった。私は、日本の社会運動における地域通貨運動の流行と衰退を身をもって体験した人間として、ベーシック・インカム論の流行に危惧の念を覚えた。つまり、薔薇色の未来を描いてくれるけれども、期待外れに終わり、一過性の流行に終わるのではないだろうか、という懸念である。
全ての人が人として尊重され、生存権を保障されるべきである、という主張は間違いなく正しい。しかし、ベーシック・インカムの財源はどうするのであろうか。ただでさえ、日本は財政的に危機的な状況にあり、破産寸前の借金大国だと言われ、社会保障も削減される方向にある。それなのに、ほとんど究極の「大きな政府」とも言えるベーシック・インカムが実現される可能性が少しでもあるのだろうか。

もう一度立ち戻って考えて欲しい。地域通貨、特にLETSの長所と短所は、長所は自ら発行できること、短所は「使えない」貨幣であることだった。柄谷行人のように、LETSの口座を持てば金のない人間などいない、と大見得を切ったとしても、地域通貨があっても何も買えないのでは意味がない。そこにくると、ベーシック・インカムは現金を給付しようという提言だから、まさに「現金」な提案であり、魅力がある。しかし、先ほど述べたように、財源が不明である。また、地域通貨と違い、国家権力を掌握しなければ(或いは議会で一定勢力を占めて政権運営に影響を持つようにならなければ)実現できない提案でもある。地域通貨は草の根の共同体でもできる。しかし、ベーシック・インカムはそうではない。

だから、私は、敢えて十年、時代に遅れて、地域通貨のことを今考えているのである。勿論私も、従来の地域通貨の欠陥を克服した新通貨をすぐに提案できるわけではない。だが、今後も、ずっとそれを考えていきたいと思っている。