そろそろ虚しくなってきた。

廃人=廃神としてYoutube12連投したが、流石に自分で自分が虚しくなってきた、なうwww
まー当然だろうなあ。
大澤信亮の『神的批評』読んで自分が文学とも批評とも無縁だと思った。彼ほど高密度の思考/執筆は出来ぬ。私はだらしがない。怠惰である。惰眠を貪る惰民党総裁www 南無www 草を生やすくらいしか出来ることがないwww
それとマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』。井上究一郎訳がちくま文庫になっているんだねえ。筑摩書房の文化貢献って凄いと思った。で、冒頭読んだが、いつも冒頭しか読まない/読めないのよねwww あの長さの読めったってそりゃー無理な話だよ。こちとらそんな暇も能力もないんだ。
だから作家・文学者を自称するのは如何なものか、と自分ツッコミ。
文学が分からないんだからねえ。
私の文章、文体は2ちゃんねる的である。垂れ流し、だだ漏れである。
自然発生的散文! そう言えば美しいが、実態はただだらしがないということだけだ。
私は徹底して、だらしがなく、エピキュリアンなのである。エピクロスの豚。豚、高貴な動物www そういや自立豚なんて罵言もあったなwww 俺なんかまさにそうだ。
まー俺は恵まれてるんだろ。上見りゃーきりがないよ。生かされてあることに感謝すべきだな。